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思えば

□だらたまご 2023/2/17 「あの頃」

 某委員長と某マッドサイエンティストの配信アーカイブを見ていてふと思ったのですが、
 幼少期、私は絵を描くことは好きでしたがらくがきが好きという程度でそれ以上までは
 踏み込んで漫画とか描く、何ていうことはありませんでした。
 じゃあかつての私は何が好きだったんだろうと、そう考えたとき、一つ昔のことをふと
 思い出しました。
 まだ自分のパソコンなんてなかった頃(パソコン自体はあった)ノートに手書きで、
 某ポケ〇ンの漫画を「小説に起こしたもの」を書いていたことを思い出しました。
 漫画やアニメでは動きがあるものを小説に起こしたらどうなるのか、なんていうのを
 まだ大した語彙力もない時代に書いて、それが楽しかったんですよね。
 そして今、語彙力という武器を身に着けて小説をサクサク書いているのが楽しいわけで。
 そうか、幼少期の楽しかったことって、今でも楽しいんだなと改めて思いました。
 そういう意味では昔から何かを演じることも好きだし、文章を書くことも好きでした。
 ただ、ある程度の歳まではそれを表に出していなくて、文章が学校の授業で大絶賛され
 そこから「ああ、自分はちゃんと文章が書けているんだ」と自負出来て。
 歌も好きでしたが、人前では一切歌いませんでした。幼稚園の頃に初めてカラオケに
 行ったとき、自分の声があまりに違うものに聞こえてそれがトラウマになって、それも
 後から学校とかで「ちゃんと音がとれて上手く歌える」という事を他人から言われて、
 そこから人前で歌うことに苦手意識がなくなり、実際数百人収容のホールでソロを歌う
 今思えばすげぇことしてんな、っていう事もできるようになっていました。

 じゃあ、絵は。
 小学校時代、絵に関して言えば正直らくがきを量産するくらいで、工作メインでした。
 楽器もそうなんですが、その頃クラスの女子たちとまあそれなりにかかわりがあって、
 そこで絵が上手い子がいて、描けるという事自体にあこがれを持っていました。
 小6の頃から絵に興味はあって、中学で腐女子連中とつるむうちに画力をつけて、
 結果として高校から今に至るまで絵を描けて、それが評価されるのが嬉しかった。
 しかしそれが、「評価され慣れてしまった」ことで、どこか崩れた。
 過去私がやってきたすべてのことが「人に褒められることのうれしさ」からだった。
 しかしそれは逆に言えば「褒められたことで自信がついて好きなものを楽しめた」と
 ただそれだけのことだったはず。
 なのに、「褒められないことが苦痛」に思い始めてきたのは何故か。
 小説は今もこうして誰からの評価を得られなくても、心から楽しんで書けている。
 ものづくりや改造も同じだし、音楽だって同じこと。
 なんで、絵だけがそんなことになってしまったんだろうか。
 なんで、あの頃の本当に心から楽しく描けていたころと違うんだろうか。

 そうして思ったのは、絵って唯一「人と比較する」物なんです。
 確かにデフォルメ絵というのは唯一無二ですが、ツイッターというものはRTなどの
 反応が目に見えてしまっていて、昨今の改悪で閲覧数まで丸出しにされて、どうしても
 他人との差を感じてしまって、本当に楽しめていた感情がないんです。
 それが、ここ最近じっと自分と見つめあっていて見えた結果です。

 じゃあ、本当に楽しむならどうか。
 ツイッターというツールを捨てるのが一番早いんじゃないかって思うんですよね。
 正直pixivも同じような感覚には陥るんですが、そこまでではないんです。
 だとしたら、一番私の創作を邪魔しているのはツイッターだ。

 今後の身の振り方はちょっと考え中です。
 ただ、ツイッターに直接的に絵を投げることは、当分ないと思います。


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