garasumire 
トップページ
▲トップページ
このサイトについて
▲沿革、概要
プロフィール
▲みずちあきらについて
配布物
▲BGM、モデル等配布
最近の活動・更新
▲最近の活動・更新
外部リンク
▲外部リンク
その他のコンテンツ
▲その他のコンテンツ

あおたまごちゃんねる
▲YouTubeチャンネル
※超不定期更新
愚痴

□だらたまご 2026/2/22 「ぐちぐちのぐち」

 さて、前回から大分時間が空きましたが、その間は地味にnoteの更新をしてました。
 今回は前回の宣言通り、このウェブサイトですべき話の内容という事で愚痴です。

 「困ったときはお互い様」という言葉があります。
 何かが起きた際にはどちらが損とか得とかなく助け合う、そういう話ですよね?
 ですが、私の観測範囲内には「困ったときは助けてもらうのが当たり前」な人が多くて
 仕方がない気がするんですよね。

 これは私の持論なのですが、親切にされるべき人とそうでない人がいると思っていて、
 誰でも大変な時は助けられて当たり前、というのは必ずしもそうとは思いません。
 大変であることと手を差し伸べられるべきことを同列だとは私は思えません。
 個人的にその基準は別に難しいことではなく、「不義理を働いた人間は少なくともその
 相手から助けられる資格はない」というだけの話です。
 この不義理というのは、私の基準では「当然そうすることができるはずの最低限の礼儀を
 果たしていない人間」という基準です。

 ゴッドファーザーという映画をご存じでしょうか。
 冒頭のシーンで子供を痛めつけられたから金を払うので復讐してくれ、という言葉に対し
 ドン・コルレオーネが「あんたが友情を退けた、それで今更正義だ?」という感じの
 返答をする(一次資料がないので超要約)シーンがありました。
 ドンは友としてお願いされるのであれば、という事で男の頼み方が変わって……と続いて
 いくのですが、このシーンは私の思想とかなり大きく一致しています。
 別に忠誠を誓えとか敬意を払えとかは思っていませんが、都合のいい時だけ頼れる人間に
 縋るという姿が、私は反吐が出るほど嫌いなのです。
 私が思う助け合いというのは「それを気持ちよくできる関係があってのもの」であって、
 誰でもどんな場合でもというのはそれこそ自分が特別だという驕りでしかないと私は思う
 わけです。
 普段は他人に迷惑をかけ、他人に不快な思いをさせ、他人を尊重することもせず、しかし
 自分が困ったときには助けられるべきだというのは極めてエゴイスティックです。
 しかし、むしろそういう人間こそ「私は助けられるべきだ」という思想を持っているよう
 見受けられる傾向に(私の観測範囲内では)あるのではないかと思います。

 サタニスト協会のWikipediaに、サタニストの9箇条の4にこういった記述があります。

 ”サタンは恩知らずな者のために愛を無駄にすることではなく、
 親切にされるに値する者に親切にすることを象徴する。”


 いわば、私は親切というのはこの考えのもとに持つ考え方だと思っているわけです。
 何故、他人から搾取することしかできない人間のために気を遣わねばならないのか。
 「困ったとき誰かに助けられたいんだったら、まずお前が助けたくなる人間であれよ」
 と思うわけです。

 何の話だっていう感じですが、最近周辺の人間が何故か「自分が困っているのになぜ
 助けられないのか」みたいなムーブをする奴が多いわけです。
 そういう奴は基本的に他人に徹底的に迷惑を掛け、最低限すべきこともせず、報連相を
 することもなく、それでいて行き詰った時に自分は頑張っているんだみたいなムーブを
 する人間が本当にマジで心の底から嫌いなわけです。
 その嫌いが平日毎日発生していたかと思ったら休日もちょっと発生しておりまして、
 それでストレスがあり得ないくらい増加しているのが今日この頃、というわけで。

 先ほども書きましたが、私の言い分はこうです。

 「困ったとき誰かに助けられたいんだったら、まずお前が助けたくなる人間であれよ」


前回  次回

だらたまごに戻る
 
▲ページの上部へ

Copyright (c) 2006-2026 Akira Mizuchi All Rights Reserved.