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□あおたま怪談 0013

『道端の花』



 道端に花が供えてあると、ひどく気分が沈むものだ。別に、そこで亡くなった誰かが自分の知り合いだというわけではない。自分の身内がそういった形で亡くなったことがあるわけでもない。ただ漠然と、そこで誰かが突然の死を迎えることになったという事実が、心にずっしりと重く圧し掛かってくる気がするだけなのだ。全く死など予感していなかった命が、一瞬でそこで奪われたという事実が。
 普段から他人の死に対して敏感だというわけではない。近くに住んでいた老人が亡くなったとしても、テレビで多くの命が失われた事件の報道がなされていても、無感情というわけではないにしろ、そこまで重く感じることはない。しかし、道端の花はそうではない。その場所で間違いなく命が奪われ、そしてそれを悼む人間が訪れていて、そして、自分が今、その場所に対峙しているという事実が、私の心に重く圧し掛かるからこそ、これほどまでに悲しく感じるのだろう。
 だからといって、私は別にそこに手を合わせるわけではない。幽世に渡った誰かを心の中で悼み、残された人々の悲しみを想い、そうしてただまっすぐに、その場所を過ぎ去っていくだけだ。自分が決してこの花の向けられた存在であったり、或いは、そうさせる原因を作る側であったり、そういったものになりたくないと、決してならないと、そう強く心に決めて一歩を踏み出すだけなのだ。

 今日もまた、花があった。普段の通勤路から横道に入った先の道で、渋滞を避ける際にたまに使う程度の、山を越える抜け道の橋の上だ。ほとんど車が通ることはなく、地元の、特に詳しい人間以外はまず使わない通りにある、数十メートルはあろうかという谷の上の、谷川を見下ろす位置の橋だ。おそらく、これは不慮の事故などではない。この橋から飛び降りた誰かがいるのだろう。そうでなければ、橋の中央に花が供えられていることはないだろう。何しろこの橋は両側百メートル以上は直線で、遮るものも坂道もない見通しの良い道なのだ。
 しかし、私は悲しかった。それは自ら死を選ばなければいけなくなった存在に対する漠然とした憐憫の感情ではなく、そこに花と共に供えられていた物の意味することに対してだ。花と共に供えられていたのは、車や電車のおもちゃや、子供向けの駄菓子などだ。おそらくは、ここから落ちたのは子供なのだろう。ここは確かに車はほとんど通らないが、地元の学校の通学路になっていて、十数人くらいの子供たちがここを渡っているのを何度か見たことがある。道幅もこんな裏道にしてはあるほうだし、歩道もしっかりと整備されている。橋の両側も十分な高さのフェンスが設置されているので、通学路として危険な道ではない。しかし、こういったことが起きてしまったということは、おそらく自らの意思でそうした、ということなのだろう。
 私は橋を渡った先の小さな退避スペースに車を停め、徒歩で橋の方へと向かう。思えば、この道は車では何度も通っている道だが、歩きで通ったことはない。先ほどの花が供えてあった反対側の歩道の、ちょうど真ん中あたりまで来て下を覗き込む。今日はずいぶんと霧が立ち込めていて、谷川はもはや視認することはできなかった。山の中なので、川の深さはそれほどない。飛び降りてしまったらもう、助かることはないだろう。
 そんなことを考えてぼうっとしていると、道の反対側から子供たちの声がした。黒いランドセルを背負った3人の子供たちが、供えられたものを見ながら何やら話しているようだ。聞こえてきた話の内容から察するに、彼らは、この悲しい供え物の「原因」だ。
 彼らは供えられたおもちゃの一つを手に取ると、橋からそれを投げ落とした。そうして、ゲラゲラと品性の欠片もなく笑い始めた。こういった奴らが大人になった時、平気で人を傷つけて死に追いやるのだろうと思うと、今すぐに車に戻って、彼らを跳ね飛ばしたいほどの怒りが込み上げてきた。しかし、その怒りはほんの一瞬で収まった。理性が勝ったのではない。怒りを向ける必要がなくなったからなのだ。
 彼らの笑い声は、一瞬にして叫びへと変わった。コンクリートとアスファルトでできた頑丈な橋の、3人が立っていた辺りだけが急に崩れ落ちて、瓦礫と共に3人とも谷底に飲み込まれていったのだ。

 あたりに、再び静寂が訪れた。先ほどまであれほど濃かった霧はいつの間にかすっかりと晴れて、いつものように穏やかに流れる川が、橋のはるか下に見える。先ほど崩れたはずの橋も、いつの間にかすっかり元通りだった。もしかして、先ほどまでのことは全て、私が疲れによって見た幻覚なのではなかろうか。供えられていた花も、供え物を放り投げた子供たちも、突然彼らの足元だけが狙ったように崩れた橋も、全て私の妄想の中の存在なのではなかろうか。
 しかし、そうではないことは明白だ。澄み渡っているはずの川の水が、ひどく真っ赤に染まっているのだから。



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