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□あおたま怪談 0014

『飼い猫』



 隣に住む老人が失踪してから、もう3日になる。もう90を超えているかなりの高齢者ではあるが、認知症などは一切なく、30代の私よりも力もあるし足も早い、年齢を感じさせない人だった。夜遅くに飼い猫が出て行ったのを追いかけていったらしいのだが、その後飼い猫だけが戻ってきて、翌朝になっても帰ってこないのだという。即日警察に届けは出したとのことだが、それから3日、なんの情報もないままに今に至る。
 決して評判の良い人ではなかった。子供の騒ぐ声がうるさいだとか、夜のバイクは非常識だとか、とにかく何でもかんでも文句をつけるひどく頑固な人で、我が家もそうだが、この周辺のほとんどの人は彼をよく思っていない。それは彼の同居している息子夫婦も同じようで、同居している息子夫婦は失踪について「どこまでも人に迷惑をかけなければ気が済まないのか」と憤っていたし、家を出ていった孫達はほとんど寄り付くことはないらしい。失踪したことで街が静かになったとさえいう人がいるほどに、彼の評判は悪かった。
 私の夫もまた、失踪の一報を聞いた時はほとんど心配する素振りは見せなかった。私はそうでもなかったが、夫はよく言い争いをしていたようだし、いなくなったことについて心配するどころか、これで平和に過ごせるなどということを言っていた。結婚してから5年ほど経つが、誰に対しても優しく、ひどく態度の悪いコンビニ店員にさえ丁寧に接するほどに温和な夫が、ここまで嫌悪感をあらわにする人間というのは、彼をおいてほかにいなかった。
 老人の当たりが強かったのは、私たちがまだ越してきてから1年も経っていない余所者というのもあるかもしれない。だがそれにしても、あの老人はそのわずか1年足らずで心の底から嫌ってしまうほどに、嫌な人であったのは事実だ。最愛の奥さんを亡くしてからひどくなったという話ではあるが、それにしても、こう言ってはなんだが、あまりにもひどい性格であった。
 この町で彼に対して友好的に接していたのは、彼の失踪の際に出て行った、あの飼い猫ただ1匹だけだ。彼もまたその1匹の猫を溺愛し、どこに行くにも抱きかかえているほどであった。

 その飼い猫だが、失踪の日以来、よく我が家に顔を出す。隣人夫婦は猫があまり好きではないらしく、家にいても居心地が悪いのだろう。我が家は猫を飼っているので、遊び相手を求めているのかもしれない。家の入口の、ブロック塀の上で座って、じっとこちらを見ている。よほど寂しいのかもしれないが、さすがに家に招き入れたり、何かおやつをあげたりするわけにもいかないので、無視を決め込むしかない。何しろ、下手に何か与えたりしたことがバレたりした日には、飼い主である件の老人に何をされるか分かったものではないからだ。
 しかし、それにしても不思議なものだ。普段はその猫は隣家からほとんど出てこないし、出て来ていたとしても、我が家に興味を示すことなど一切ない。それが、この3日間、ほとんどの時間、我が家のほうをじっと見据えてそこにいる。猫を飼っているのは我が家と隣家だけではなく、その隣も、向かいも同じことだ。なのに、猫は常に、我が家にだけ興味を示しているのだ。
 さすがに不気味な気がして夫に話をしたが、夫はそんなものは無視しておけばいいという。余計なことを気にしていて、変に勘繰られるのも嫌だから、というのが理由だというが、その言葉もまた、無類の猫好きである夫から、まず出ることはなさそうな言葉であった。

 翌日も、その翌日も。猫は我が家を訪れ、じっとこっちを見据えていた。ブロック塀にちょこんと座り、じっと玄関の扉を眺めている。その視線が、何かすごく恐ろしいもののような気がしていて、ひどく不気味であった。老人についてはいまだに何の情報もなく、いつしか街のほとんどの人が、まるで最初からいなかったかのようにその話題に触れなくなっていった。猫だけが毎日我が家を訪れている以外に、何一つ変わったことのない、いつも通りの時間が流れるようになってきていた。
 それから少し経ったある日の朝、その猫は我が家の前にいなかった。ゴミ出しの時間にも必ずいたあの猫も、いい加減諦めてくれたのか、と思いつつゴミを出しに行くと、猫はゴミ捨て場にいた。1つのゴミ袋をじっと見据えて、そこからまったく動こうとしない。
 嫌な予感がした。私はあたりの様子を伺い、誰もいないことを確認したうえで自分のゴミを集積場に出しつつ、猫の視線の先のゴミを、そっと持ち上げてみる。猫は、そのゴミ袋を目で追うように、首を動かす。
 私は意を決して、袋を開ける。袋は半透明の白いゴミ袋であったが、その中に、紙袋が一つ入っている。それをゆっくりと開けると、何やら黒く固まった、新聞紙でくるまれた塊があった。ちょうど、頭くらいの大きさの――。
 私はそっと、新聞紙を剥がす。ひどく損傷していたが、それは間違いなく、人の頭だった。

 速やかに警察がやってきて、失踪事件は、バラバラ殺人事件として捜査されることになった。ゴミ捨て場にあったのは頭部だけで、それ以外は何も見つかっていないらしい。ゴミを出した人の特定も行おうとしているようだったが、ゴミ捨て場には防犯カメラなどは設置されておらず、目撃者も誰もいない。遺体の頭部は獣に表面を食いつくされたかのような状態だったらしく、猛獣の類がいたとしてもおかしくないから外出は控えてほしい、とのお達しがあった。
 いろいろに私も事情聴取などを受け、疲れて家に帰ってくると、猫はまた、我が家の前にいた。これまでと同じように、我が家をじっと見据えている。嫌な予感がした私は、玄関の扉を開けて、猫を招き入れた。猫はゆっくりと家の中に進んでいき、1階の夫の書斎の、地下室へと続く扉の上でぴたりと止まった。
 私は恐る恐る地下室の扉を開け、ゆっくりと梯子を下りる。狭く、暗く、じめじめした室内の嫌な空気が満ちていて。そしてそれと一緒に、何かが腐ったような、獣の住処のような、そんな複雑な臭いが立ち込めている。照明のスイッチを入れると、部屋の端に、白いゴミ袋が一つ置かれている。そしてその中身は、おそらく――。慌てて袋を破ると、中からは肉がそぎ落とされ、骨だけになった遺体が入っていた。考えたくなかった状況に、私は昏倒しそうになる。まさか、自分の夫がこんなことをするなどとは、夢にも思わなかったことだ。泣きそうになりながらも、110番通報をするために、震える手でポケットのスマートフォンを取り出す。
 電話の画面を立ち上げたところで少し冷静になり、いったん手を止めて、小さく息を吐く。そうして、ひとつ、気になることがあったのを思い出した。この、今袋に詰まっている老人――もっとも、これがあの老人である確証はないが――に接するとき、夫はまるで別人のようだった。否、別人だった。明らかに声も表情も、夫のそれではなかった。目などはそう、猫のように鋭くなって――。
 そうして視線を前に戻した時、私は気づいた。部屋の端、照明が届くか届かないかの辺りに、夫の服を着た人骨が転がっていることに。おそらく、夫の服を着た別人ではなく、夫自身だ。残された髪の毛や、指にはまったままの指輪には、確かに見覚えがあるのだ。これは、いったいどういうことなのか。夫は毎日仕事に出かけ、帰ってきて、休日には一緒に買い物に行って、そうして私との日常を普通に過ごしていたはずではないか。
 事態を飲み込めずにいると、地下室の入り口で、猫が「にゃぁ」と小さく鳴く。それに呼応するかのように、別の方向から「にゃぁ」と今度はひときわ深く、低い猫の鳴き声が聞こえる。声のしたほうに向きなおると、そこには、いつも通りの微笑みを湛えて夫が立っていた。夫――夫ではないかもしれない何か――は笑顔を崩さぬままに、もう一度「にゃぁ」と声を上げる。

 そういえばあの老人は確か、引っ越してきた頃、2匹の猫を飼っていたはずではなかったか。



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