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□あおたま怪談 0015

『恩師』



 地域のニュースとして、テレビで母校のことが紹介されていた。なんでも来年には廃校になるらしい。これもまた少子化の波なのだから仕方がないとは思いつつも、画面に映る懐かしの校舎を見て、なんだか久々に、あの頃に戻りたいなどと思った。結婚して子供も生まれ、順風満帆な生活が出来ている今であるが、私にとって、この学校での3年間が、今の人生を作ったといっても過言ではない。校内の風景が画面に映るたびに、あの楽しくも不思議だった日々のことが、ありありと思い出される。

 中学時代の私は、決して勉強ができる方ではなかった。むしろ、勉強は苦手な方で、成績は概ね下の上といったところ。赤点を取るほどに悪くもないが、基本的には下位争いといったところで、得意な科目を聞かれても答えることができない程度には、全教科の成績は悪かった。
 そんな私も高校に上がり、より難易度が上がった勉強についていくのも非常に難しいところではあったが、高校に入って、恩師と呼べる先生が出来た。どこのクラスも担当していない変わった先生ではあるが、夕方、最終下校時間ギリギリまで自習室で勉強していた私に、わからないことを全て優しく教えてくれるのだ。何も言わなくても、問題集を解き始めるとふらりと表れて、私が悩んでいる素振りを見せると、その解き方を具体的に、なおかつ私でもわかりやすいようにかみ砕いて説明してくれるのだ。基本的に不真面目な学校なので、自習室はいつも私一人であったが、その先生が教えてくれるようになってから、毎日の勉強が楽しくなってきた。1学期が終わる頃、成績は上位に食い込むことはできないまでも、下位争いをしていたあの頃から、上半分の順位に入れるくらいには成長してきた。
 先ほど恩師といったが、私はその先生の名前を知らない。全校集会でも見かけることはないし、何かの教科を担当していることもない。一人で自習室にいるときにふらりと表れ、勉強を教えてくれるのだ。もしかしたら、自習室の管理を担当しているだけの先生なのかもしれないし、そもそも用務員さんだとか警備関係の人だとか、この学校の先生ではないかもしれない。それでも、白髪を綺麗に梳かして、いつも小綺麗なスーツを着こなし、私の理解が甘くても決して怒らず、常に優しい微笑みを湛えているその人が、間違いなく私にとっての恩師であった。
 2学期、3学期と月日は過ぎていき、1学期は中くらいだった成績は、だんだんと上位組に食い込むようになってきた。中学時代には考えられなかった自分自身の成長に、私自身とても驚いていた。それと同時に、頑張りが報われるのが嬉しくて、今まで以上に、私は勉強を頑張るようになった。そうして2年の夏を迎えるころには、いくつかの科目で学年1位を取れるまでになっていた。
 結局、私はどうやら出来が悪かったのではなく、勉強を楽しいと思える環境に巡り合えていなかったのだ。また、自分自身が無駄に苦手意識を持ち続けていて、最初からできないと決めつけて、そうしてわからないものをわからないままに何となく毎日の勉強を嫌々やっていたからなのだということも分かった。今の私があるのは、つまるところあの先生のおかげに他ならない。勉強を楽しいと思うようにしてくれて、苦手だと思っていたものを理解させてくれて、そうして、日々私を成長させてくれているのだ。
 そうして2年の3学期、志望校を考える時期になると、今まで決して選択肢に等はいらなかったであろう学校が、手に届く範囲に見えてきたのだ。姉妹の中で最も勉強ができなかった私に頭を悩ませていた母親も、そんな状況を心から喜んでくれていた。

 そして、それから月日は流れ、無事レベルの高い志望校に合格し、卒業の時を迎えた。入学時は引っ込み思案だった私は、この3年間で、ずいぶんと明るくなったように感じる。もともと勉強が出来ず、体育も美術もありとあらゆるものがダメだった私が、体育は仕方ないにしても、それ以外のことで自分を肯定的に見られるようになり、いつの間にか、自信を持てるようになっていたのだ。
 最終日、最後のお礼を言いたくて、自習室に入る。よく考えたら、あの先生を恩師と慕っておきながら、勉強以外のことをまともに話したことはなかった。勉強を始めると現れて、自習を終えて片付けに入ろうとするころには、お礼を言う間もなくいなくなってしまう。そんな不思議な先生だった。
 先生はまだそこにはいなかった。私はいつもの使っている席に座り、問題集を眺めはじめた。問題集は全てのページが埋まっていて、それぞれの問題を見るたびに、丁寧に教えてもらった記憶が、鮮やかによみがえってくる。こうしていることが、あの先生に会うためのおまじないのような気がして。
 そうしていると、扉が開く音がして、先生が入っていた。ただ、来たのはあの先生ではなく、学年主任だった。これ以上自習をする必要もないだろうし早く帰りなさい、と言われたが、私はどうしてもあの先生にお礼が言いたかった。とはいえ名前も判らないので、呼んでもらうこともできない。見た目の特徴をいろいろに伝え、その先生を呼んでほしい、と言うと、学年主任は少し首をひねり、やがて何か思い立ったように、私を校長室に連れていった。
 そこに、その先生がいた。いつも通り、あの白い髪を綺麗に整え、小綺麗なスーツを着ていた。しかし、その先生自身がいたわけではない。校長室の壁に飾られた、歴代校長の写真の、ずいぶんと昔の方に先生の写真が飾られていたのだ。学年主任によれば、その校長はもう10年以上前に亡くなっているのだという。
 そうしてその時、私は毎日、まるで誰かと話しているように喋りながら、たった一人、楽しそうに自習室で勉強していた不思議な生徒として有名だった、ということを明かされたのだ。



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