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□あおたま怪談 0017

『徳利』



 曾祖父が亡くなったのは、私がまだ小学生くらいの子供の頃だった。かなりの大往生だったようだが、死ぬ前日まで酒を優雅に嗜んでいたらしい。相当の酒好きでありながら、酒に酔って身内を困らせることは一度もなく、酩酊した姿を誰かに見せることさえも全くなかったらしい。そんな祖父が愛用していた非常に古い、おそらく江戸時代に作られた貴重な猪口と徳利があった。形見分けの際にそれは祖父に渡されて、それから数十年、祖父はそれで酒を楽しみ、そうしてその祖父が亡くなった今、それは私に巡ってきた。本来ならば父に巡ってくるのだろうが、父は根っからの下戸なのである。
 とはいえ、私も成人して酒を飲むようになったとはいえ、曾祖父や祖父のように日本酒を粋に楽しむという事は出来ていない。飲むといえば専らビールかチューハイくらいのもので、あまり本格的な酒を楽しめるほど、私は大人ではない。しかし、この猪口と徳利に似合うほど渋い大人になりたいというのは、子供の頃曾祖父の渋さに憧れていたあの頃から変わらない夢の一つであった。
 現代において、酒を本当に楽しんでいる人は少ないと感じる。それというのも、酒飲みはおおよそ、酒そのものの味を楽しむ人と、酒に含まれるアルコールを楽しむ人、そして、酒を飲むその環境を楽しむ人に分けられると思う。しかし、たった一人で酒の味と向き合い本当に心の底から楽しめる人は、おそらく酒を飲む人間の中でも比較的少ないのではないだろうか。別に、どんな楽しみ方をするのもそれぞれの好みであるからどういう飲み方が悪いだとかどういう飲み方がいいとか、そういうことを言いたいわけではない。ただ私が憧れる曾祖父は、文机の右側に本を積み上げながら、夜の薄明りの中で和服を着て少しの酒を楽しむ、そんな古い時代の男であったし、どうせ酒を飲むなら私はそうありたいと思っているのだ。
 残念ながら、私はそもそも和服は似合わないし、顔つきも渋いほうではなく現代の一般的な若者である。だからこそ、この徳利と猪口は大切に取っておいて、これに見合う大人になれたとき、曾祖父のあの格好良さを自分が持てたと確信できたときに使おうと思っている。

 なんてことを言ってはいるが、到底無理な気がしている。会社では人の足を引っ張ることで有名だし、折角できた彼女にもついこの間振られたばかりだ。仕事が終わっても趣味に没頭するような体力は残っておらず、適当なコンビニ飯を食って、ユーチューブを見てひと笑いして、あとは風呂に入って寝るだけ。憧れていた曾祖父の姿とは似ても似つかない、色々な意味で最近の若者の具現化のような存在であった。趣味もなく、彼女もなく、飲み歩きもせず、ただ日々を過ごすだけ。別に不満は無いのだが、理想とする姿とのギャップに、たまに現状を悲しく思うこともあった。
 そういったとき、私は猪口を酒で満たし、それを私の机の対面に置き、私は私で普通にビールをグラスに注いで飲むなどという事をしている。そうして晩酌をしてから寝ると、夢の中に曾祖父が表れて、私の悩みを聞いてくれるのだ。曾祖父は、決して私にアドバイスはしない。ただ私の前であの徳利に注がれた酒を飲みながら、時折小さく頷いたり、首を振って否定したりするだけだ。しかし、興味のなさそうな素振りは一切見せない。じっと私の目を見て、私の弱音をすべて受け止めてくれる。何も声を発しなくても、そうしてくれるだけで本当に助かっていた。そうして目を覚まして徳利を見ると、酒は一滴も入っていないのだ。不思議なことではあるが、きっとそれは、曾祖父が飲みに来てくれているのだと思っていた。悩みを聞いてもらえて沈んでいた気分も明るくなり、その徳利をきれいに洗って、そうして箱に戻して仕事にいく。月に何回か、私はそういうことをしていた。

 ある日、不注意で徳利を倒してしまった。幸い細かく割れてしまうことはなかったが、口の角が斜めに割れてしまった。江戸時代の物であるという希少性もそうだが、これはそれよりも、曾祖父と祖父の形見であり、また、曾祖父に夢であっても逢える大切なきっかけなのだ。幸い、欠けた部分はとても綺麗だったし、破片も砕けていない。本当にきれいに、角が取れてしまったといったところだ。私は以前金継ぎについて調べたことがあったので、それができる場所はないか確認したところ、意外なことに、我が家から徒歩で行けるエリアにそういったことができる職人がいるそうだ。なんでも業界ではかなり有名な老舗の造漆店だそうで、この酒器とほぼ同じか、あるいはそれより前から代々伝わる老舗なのだそうだ。
 連絡を取って現物を持っていくと、修理完了までには三ヶ月くらいはかかるそうだ。実際私が使うわけではないし、綺麗に治ることが一番重要なので、何ヶ月かかろうがお願いする以外の選択肢はなかった。その間曾祖父に逢えないことになるが、それもまた仕方がない。何しろその理由を作ったのは私なのだ。
 それから、金継ぎが終わるまでの三ヶ月間、私は色々と辛いこともあったが、自力で乗り越えるように頑張った。途中、少しだけ本気でくじけたときに、曾祖父の物ではないそれなりに良い徳利に酒を注いではみたが、夢で曾祖父に会うこともできなかったし、朝になっても、徳利は酒で満たされたままであった。そうして改めて、もう少し頑張らなくてはいけないと自分を奮い立たせ、次に曾祖父に会うまでに、少しでも大人の自分になりたいと努力した。少しずつ、仕事で怒られる機会も
減ったし、自分自身でもわかるほどに、自分自身を肯定できるようになってきていた。皮肉なことだが、曾祖父に会えないその期間が、自分自身を憧れていた曾祖父の姿に少しずつ近づけていったのだ。
 そして、三か月後。金継ぎが終わったとのことで取りに向かうと、メモを預かっている、と言われた。そう言われても、私が金継ぎにこの徳利を出したことは誰にも話していないし、そんな心当たりも何もない。不思議に思いながらも四つ折りにされたそのメモをポケットに入れて、そのまま家に帰った。
 開けてみると、割れてしまった徳利は美しく修繕されていた。シンプルで地味だった徳利に金が入ることで、今まで以上に趣のある、美しいデザインになっていた。徳利が直った安心感と、再び曾祖父に会うことができるという嬉しさで涙が出そうになる。と、そこで言われていたメモのことを思い出し、おもむろに折りたたまれた紙を開く。
 そこには、子供の頃から見慣れた曾祖父の独特な字で「お前はここ最近で成長したんだから、俺に会おうと思わず、俺になろうとせず、お前らしさを大切にしろ」と書いてあった。曾祖父はこの三ヶ月間、ちゃんと私を見てくれていたのだ。そして、私を認めてくれていたのだ。私はその言葉を胸に刻み込み、涙をこらえながら、直ったばかりの徳利に上等な日本酒を注いだ。

 今日は、自分自身が飲むために。



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