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『井戸』
18の時に東京の大学に行くとなって状況してから、今年でもう10年になる。それほど派手で華々しい人生ではないにせよ、東京でそれなりに困らずに生活していくことができる程度の仕事はしていて、親のすねをかじることもなく今はのびのびと一人暮らしができているのは、いろいろな意味で恵まれていたのだなあ、と思う。田舎特有のわけのわからないしがらみもなく、両親の監視下にあるような息苦しさもなく、欲しいものがあればすぐにでも買うことができる都会での生活は、幼少期の暮らしに比べるとまさに夢のような生活であった。 そういった嫌な面もあって、上京して以来一度も実家に帰ることはなかった。しかし今年、私は実に10年ぶりに、あの田舎の辺境の地の、ひどくつまらない田舎に帰ってきていた。別に、望んで帰ってきたわけでもない。ただ単純に、高校時代に取った資格の証明書が必要だから、取りに来ただけのことであった。 父も母も極めて元気で、めったに顔を見せない親不孝な私に対して説教をするでもなく、笑顔で温かく迎えてくれた。別に、私は両親が嫌いなわけではない。私が嫌いなのは、実家暮らしという閉鎖的な環境と、辺境の田舎にありがちな馴れ合いの強制なのだ。強制されるような文化は、どれだけ長い伝統をもっていても滅んでしまえば良いと思うような私の考えに、日本の田舎のカビの生えた考え方など合うはずもない、ただそれだけなのだ。 朝一で実家に帰り、その日の夕方には帰る予定だった。本当なら1日くらい泊っていけと言われているのだが、休みが取れたのはたったの2日で、その2日の内2日目にあたる日、つまり明日は別の用事があったので、時間がなさ過ぎてそれはできなかった。それに、しばらく引きこもっていたら、近所の人間が訪ねてくることもありそうなので、あくまで平日の真昼間の、日が暮れる前までには帰ろうと考えていたのだ。父も母も私のそういった性格をよく理解してくれているので、周辺の人々にも私が帰省してきていることは言わないでくれているらしい。そんな配慮もありがたかった。 とはいえ、久々の実家でじっとただ夕方まで待っているというのも面白いものではない。私は幼少期に遊んでいた辺りがどうなっているのかとふと考え、家の裏手にある林の奥の、よく秘密基地にしていた辺りを散策してみることにした。 実家の裏の木々の間を抜けていくと、ほんの少し開けた場所に出る。そこには土壁の崩れかけた廃屋があり、その横には井戸がある。ここに来ることがなくなってもう15年くらいになるが、廃屋も井戸も、あの頃のままだった。厳密にいえば長年の放置で劣化は進んでいるものの、人の手が加わったような痕跡もなく、まるで本当に時間が止まっているかのような錯覚に陥るほどであった。 ただ一つ違うのは、井戸の周りには三角コーンが置かれ、黄色と黒のポールで囲まれていたことだった。おそらくは近所の子供が落ちてしまわぬための配慮として囲っているのだろう。私はおもむろにそのポールをまたぎ、井戸に近づいてみる。釣瓶も滑車も状態は良さそうで、軽く動かしてみてもスムーズに動く。子供のころはここで水を汲んで野菜やスイカを冷やして楽しんだなぁ、などと思いつつ、私は釣瓶を落とし、水を汲んでみることにした。暗くて水面は見えないが、落としてから引き揚げようとしたときのしっかりとした重さで、水がしっかりと汲めていることは分かっていた。力いっぱいロープを引っ張って釣瓶を上げると、その中には、真っ黒な水が溜まっていた。 私は一瞬声を上げそうになった。あの頃の水は透き通っていて、井戸水特有の冷たさがあったものだ。しかしこれは何だ。色は真っ黒で、まるで重油のような粘り気と光沢を持ち、温度に至っては触らずともわかるほどに熱せられている。手を近づけるだけで熱気を感じるほどだ。これは一体どうしたことかと、私はカバンの中に持ち歩いていた懐中電灯を取り出し、中を照らしてみる。しかし、そこで私はさらに驚いた。見える井戸の底の水面には、このようなどろどろとした光沢のある何かではなく、普通通りの水が満たされているのである。 私は釣瓶の中の液体を一度外に撒き、今度は懐中電灯で照らしながら、釣瓶を鎮めることにした。少し持ち上げたところで照らしてみると、釣瓶の中にたまっている液体はどうやら透明で、普通の井戸水であるようだった。しかし、一度懐中電灯を置き、両手で滑車を上げて持ち上げたとき、そこに入っていたはずの井戸水は、またしてもどす黒い光沢のある何かに変わっていた。 いったい何事だろうと思いつつも、別に私は懐かしさで井戸を動かしただけであり、井戸水を必要としているわけではない。汲み上げた液体を戻してしまおうかと思ったが、明らかに普通の水が溜まっているであろう井戸に、この真っ黒な液体を流すのは忍びなかった。そのため、先ほどの場所にもう一杯黒い液体を流し、井戸の現状を復帰して実家へと戻った。 それから当初の用事を済ませて、予定通り夕方には実家を出て帰路についた。帰宅直前、あの黒い液体がそのまま残ってはいないかと不安になって井戸を見に行ったが、土の中にしみ込んだのか、あの粘性のある液体はもうそこにはなく、土が少しばかりその色を濃くしているだけだった。 家を出てから10年でずいぶんと老いてしまった両親を見て、私はもう少し、僅かな時間でもいいからまたこの村に来て、両親に顔を見せなくてはならないな、と少し反省をした。 帰宅後、私はインターネットで井戸から黒い汚れた水が上がってくる事象についていろいろと調べた。しかし、泥水などになるような事案は見つかるものの、あそこまでどす黒く、しかも粘性があるような液体が上がってくる例はなかった。しかし、一方で気になるブログの記事を見つけた。それはいわゆるオカルト系の都市伝説や民間伝承をまとめているもので、その中に「黒い井戸水」という記事があった。読んでみると、〇〇県〇〇群〇〇村の井戸で、黒い液体が釣瓶にたまっていたことがあり、それを外に流すと、しばらくしてその液体は何か生き物のように形を変え、川や池などの水辺に近づく人々を襲ったという記録が、江戸時代の巻物に記されていたというものだった。そして、平成の終わりにその伝承のある井戸で水を汲んだ少年2人が行方不明になったという話があった。そして調べてみると、確かに同じ場所で少年2人が行方不明になっており、井戸に動かした痕跡があったことから落下も視野に調べられたが見つからず、今もなお行方不明のままだそうだ。そしてその〇〇県〇〇群〇〇村というのはまさに、あの実家のある住所そのものだった。 まさか、と思った。液体がどういうものだったかの記述も、土地も、井戸の記述も、全てのピースが一番嫌な形で組み合わさっていく。とはいえ、今は令和の世の中、そんな非科学的な話があるはずもない。偶然で歴史に沿っただけか、あるいは歴史ありきで結果を意識的につなげるように見ているだけなのだ。 私は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、一度冷静になる為に洗面所に向かい、顔を洗うことにした。 蛇口をひねると、そこから黒く粘性をもった液体が、どろり、と流れ出してきた。 あおたま怪談に戻る ▲ページの上部へ |