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『塗り箸』
結婚して3年目の記念日、妻からプレゼントとして塗り箸を貰った。黒く美しい光沢のある漆塗りで、金粉で装飾が施されている美しいものだ。これはどこかで販売されているものではなく、妻自身が作成した手作りのものであった。私はもともと食べることが好きであるし、その楽しい食事に使う道具を貰えるのは、本当に嬉しかった。 妻はモノづくりが趣味で、自分で持ち歩く鞄や自分で身に着ける服を作ったり、ちょっとした棚やテーブル、椅子などを作ったり、あるいはちょっとした機械の故障を直したり、それどころか電気工事士の免許を活かして家のコンセントやスイッチの修理や増設など、とにかく何でもできる多才な人だ。そんな妻は、田舎ゆえに無駄に広い我が家の庭にプレハブを改造した工房を設置している。そしてその改造から内装の処理まで、全て彼女自身が手掛けている。そして休日はたびたびそこに籠り、機械音を響かせて何かを作っているのが日常だった。 そんな妻は、結婚記念日や私の誕生日には、お手製の物をプレゼントしてくれる。しかもそのクオリティは市販品の比ではなく、高級店で販売されているそれと区別がつかないほどだ。今回贈ってもらった箸もそれと同様に、本当に素晴らしい出来であった。 箸は私の物だけではなく、妻の少し短い赤い漆の箸とペアになっていた。箸にはわずかな反りもなく、太さや長さのいびつなものはない。伝統工芸品として観光地で売られているようなものよりもはるかに美しい――と思っているのはバイアスが掛かっている可能性は否めないが――もので、手に持ってみると軽く、それでいてバランスが良く、手触りも素晴らしい。まさに逸品と言って差し支えの無いものであった。 それから、妻と二人で食卓に向かうのが楽しみになっていた。3年もの月日が経過するといろいろとマンネリ化してきて日常に楽しみを見出すのもだんだんと難しくなってきている気はしていたし、ここ1年くらいはお互い会話をする頻度も減って、本当にこのまま夫婦関係が終わってしまうような気がしていた。私は書斎で本を読み、妻は庭の工房でモノづくりに没頭し、食事の時だけリビングに集まり、ろくに会話をせずに食事を終え、また自分の領域に引きこもる。そんな生活が、たった一つの贈り物で、こうも心が動かされるのかと、私は感動していた。そして同時に、それほどまでに関係性が低下していた原因はきっと私にも大きいのだろうと、改めて反省した。 久々に訪れた新鮮で楽しい日々であったが、それからしばらくして、おかしなことが起こり始めた。 食事の最中、私はずっと、誰かに見られているような感覚を覚えて仕方がないのだ。テレビをつけているわけでもないし、妻も別に私をずっと見ているわけではない。しかし、視線はずっと絶えず向けられている感じがするのである。その感覚を覚えるのは食事中だけで、それも、別に常にそれを感じるわけではない。基本的に家で食事をしているときにその感覚を覚えるのだが、家で食事をしていても、それを感じないときもある。どういうわけなのか知らないが、とにかくその視線が不快で、何というか、助けを求めるかのような、恨みを持っているかのような、なんだかよくわからないが、いわゆる心霊的な雰囲気を感じて仕方がないのだ。 そうして毎日のようにそんな視線を感じていたが、どうやらそれにはある一定の法則があるようだった。それというのも、その支援を感じるのは食事がご飯やうどん、そばなどの時、視線を感じないのはカレーやスパゲティが出たとき、つまりは、私がその視線を感じるのは、箸を使っている時なのだ。それ以外の食器、例えばスプーンやフォークで食事をしているときにはその視線は感じない。どうやらこの視線を感じるのは、妻が作ったあの箸を使っている間だけなのだ。そしてそれはだんだんと視線だけではなく声までも聞こえるようになり、それは私にしか聞こえないようだった。それは日々大きく、はっきりと聞こえるようになってきていた。 間違いなく、あの箸には何か明かされていない秘密がある。しかし、私は妻にそのことを打ち明けることはできずにいた。私は、妻に色々と詮索することなく、自分自身でこの視線の秘密を解き明かしたかった。私は、この視線や声の主を知っている気がしてならないのだ。そしてそれについて、決して妻に聞くことはできない。なぜなら、それができない後ろめたい事情があるからだ。 数日後、私は妻に内緒で有給を取り、妻がパートに出ている間に妻の工房に忍び込んだ。私たちは互いにそれぞれのプライバシー空間を設けようと決めていて、私の書斎と、妻の工房はそれぞれ個人のプライベート空間として、それぞれ無許可で立ち入らないのがお互いの決まりになっていた。私はそれを破り、恐る恐る工房の扉を開けた。中に入ると夏の日差しですさまじい温度まで熱された生暖かい空気があふれてきた。私はドアを開けたまま、ゆっくりと中に足を踏み入れる。 置かれた棚には塗料の缶や色々な木材が並んでいて、一歩間違えたら簡単に手を切り落としてしまいそうな電動工具の類などが、狭い部屋の中に所狭しと並べられている。電気をつけて作業台に目をやると、どうやらまた新しく何かを作っているようだ。削りかけの金属の板のようなそれは、ナイフか何かのように見えた。 そして、ふと横に目をやったとき、私は言葉を失った。机の横の狭いスペースに、何か白いものが見えたのである。 それは、何かの骨だった。 骨は一部が切り取られていて、おそらくは何かの素材にしたのだろう。別に、不思議な事ではない。例えば牛骨などを使ったアクセサリーは作ったことがあるのを知っているし、鹿の骨をナイフのグリップとして加工したのも見たことがある。こういった工芸において、骨を使うこと自体はそれほど珍しいものではないのは分かっている。 問題はそこではない。その骨はどう見ても、人間の大腿骨そのものなのだ。それだけではない。その横の紙袋の中に、一人分と思しき人骨が、まるごと入っているのだ。 「誰の骨だと思う?」 背後から妻の声が聞こえ、私は心臓が口から飛び出しそうになった。恐る恐る振り返ると、妻はとてもやさしい笑顔でこちらを見据えていた。左手にはスマホがこちらに向けられていて、その画面には、私がよく見知った女性の顔が写っていた。それはまさに、私が妻に内緒で関係を持っていた女性、つまりは、――私の浮気相手であった。 「それは――」 「貴方に贈ったあの箸、作るの大変だったわ。綺麗に肉を溶かして骨だけにするのも大変だったし、それをきれいに細くまっすぐに削りだしても反っちゃうから別素材と合わせて構造を工夫したり……本当に難しかったんだから」 妻はそう言って笑う。狂気を孕んだその笑顔に、膝がガタガタと震えだす。 「ねえ。……それ、誰の骨だと思う?」 妻の二度目の問いかけに、私は何も答えられない。まさか、そんなはずはない。彼女はまさか、私の浮気相手を見つけ出し、その手に――。信じたくなかったが、信じるしかなかった。なぜなら私が感じていたあの視線、あの気配、あの声に覚えがあったのは、それが、私の浮気相手の女性であると心のどこかで確信していたからだ。そして彼女は数ヶ月前に突如として行方不明になっており、そして、その彼女と最後に会ったときに着ていた服が、別の紙袋の中に見えていることもまた、この恐ろしい仮説が現実であることを裏付ける証拠となっていた。 「私、結婚するときに約束したわよね」 「な……何を……」 「何をって、ちゃんと私は忠告したわよ。覚えてないの? 結婚しようって貴方が言ったとき、私はちゃんとはっきり言ったわよ」 妻は私の腕を掴み、想像もできないほどの力強さで丸ノコ盤の上に押さえつける。 「浮気したら、その相手もろとも素材になってもらうって」 彼女はそう言って、丸ノコ盤の電源を入れた。 あおたま怪談に戻る ▲ページの上部へ |