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□あおたま怪談 0001

『そこまでして』



 金曜日の夜は、車で三十分かけて隣の市にある公園に行き、公園を五周走るのが私の中で決まりきった習慣であった。正直、そこまでして走りたいわけではない。別にこの公園である明確な理由もない。五周である明確な理由もない。ただ単純に、この公園に来て、そしてこの公園を走りたいというだけの話でしかない。明確な理由などなく、ただ無性に「そうしたい」だけなのである。
 この公園は、やけに涼しい。八月も中頃、最低気温二十六度の熱帯夜だが、どういうわけか、私が走り出すとひんやりとした風が流れて、どれだけ走っても汗だくになるようなことはない。その上、冬に走ると何故だか逆に暖かい風が吹いていて、凍えることもない。まるでこの公園全体が大きなドームの中にあって、空調で管理されているかのようだった。この公園の異様ともいえるほどに多い木々がそうさせているのか、或いは高台にあるこの公園の立地自体に理由があるのかは知らないが、とにかく、ここは単純に走っていて気持ちのよい場所であった。
 そのルーティンは、たとえどれだけ仕事で忙しかったとしても、多少調子が良くなかったとしても、残業したとしても、或いは飲み会の後だったとしても関係ない。金曜日の夜にここに来ないと、私はどうにも気持ちが悪いのだ。だからひどい時は、夜明け直前にここに来ることもある。そうまでしてでも、何故か私は金曜日の夜――あるいは土曜日の未明かもしれないが――ここに来たいという強い願望が、私を毎週突き動かしているのである。

 そこまでして走りたいわけではない。
 先ほども述べたように、私は別に「走りたい」と思ってここに来ているわけではない。往復一時間分のガソリンを使い、駐車料金まで払い、そうしてまでこの公園に走りに来ているわけではない。私はただ単純に「この公園に来たい」という理由なき強い願望に動かされているだけなのだ。そうしてこの公園に足を踏み入れ、池を取り囲む一周のルートを一歩踏み出した瞬間に、何故だか知らないが体が勝手に走り出すというだけなのだ。 
 体力がある方でもない。一度、日曜日に軽く近所の公園を走ったことがあるが、この公園の半分程度の広さにも関わらず、二周走る事さえできなかった。しかしこの公園ではなぜか、五周走ってなお、息切れの一つもしないのだ。

 私は今日もまた車を走らせて、公園から少し離れたところにあるコインパーキングに――公園の駐車場は昼間しか開いていないので――車を停める。ゆっくりと一歩を踏み出し、そして自然と駆け足になる。一周、二周、周回を重ねるにつれて、どんどん身体が軽くなっていくような感覚を覚える。三周、四周、そして五周。五回目に入口に戻ってきて、私はゆっくりと深く息を吐き、ベンチに腰掛けて休憩する。足の疲れはあるが、しかし、不快ではない。むしろこの身体の火照りと涼やかな風が、何よりも心地よい。
 最後にコインパーキングの横にある自販機で水を一本買って、料金を精算し、車に乗り込む。この一連の流れがあって初めて、私の金曜日は終わるのだ。

 そういった日々が、もう数年続いていた。金曜日、私は今日もまた、車を走らせている。否、金曜日ではない。トラブル対応ですでに時刻は朝の四時半を回っている。もうじきに、東の空に太陽が顔を覗かせる頃だ。
 さすがに今まで、ここに来るのが翌日の朝になったことはなかった。私は何故だか強い焦燥感に駆られ、制限速度をややオーバーしつつ、いつものコインパーキングに車を滑り込ませる。既に日はしっかりと見えていた。朝である。
 駆け足で公園に向かおうと敷地を出たとき、猛スピードで車が道路を外れて走っていくのを見た。私がいつも走り始める公園の入り口、その門にめり込むようにして、ドン、という爆発音にも似た音を響かせる。周辺の人々が、わらわらと集まってくる。どうやら、単独の事故ではないようだ。見ると、朝からここを走ろうとしていたランナーが一人、巻き込まれたようだ。両足を門の柱と車の間に挟まれてしまったようで、あの感じでは恐らく、両足共に無事では済まされないだろう。
 しかし私には車やそのランナーに注目している暇はなかった。何故なら、その車やランナー、そして周りと取り巻く野次馬の向こうに、両足血塗れの少年がいるのだ。少年はこちらを向いて、私に何かを訴えかけようとしている。深淵のようにぽっかりと開いた真っ黒な眼窩を、じっとこちらに向けているのだ。

 それからどうしたかはあまり覚えていない。確か、しばらく野次馬をぼんやりと眺めた後で、逃げるようにして車に飛び乗った気がする。家に帰った私が、見たもの全てを忘れる為に早朝から大量の酒を流し込み、死んだように寝ていたのは覚えている。
 とにかく、あの公園にはどのような誘惑があっても、もう近づかないことにした。私は、あの少年に取り憑かれていたのかもしれない。走ることの出来なくなった少年に身体を貸し、彼に走らせていたのかもしれない。私自身が走りたいわけでなくとも、彼はもっと走りたかった。だから私は彼のために、あの公園に通い詰めていたのだろう。私を呼び寄せ、この肉体を操り、週に一度、欲求を開放していたのだろう。
 彼は、そこまでして走りたかったのだ。

 次の週の金曜日は、私は車に乗らなかった。あの公園に行かなくてはいけない気はしていたが、そうしてはならないと、心の中の私がぐっとその欲求を抑えていた。
 真夜中、家の前の自販機でコーヒーを買い、その場で一気に飲み干す。キンキンに冷えたコーヒーは、カラカラに乾いた喉を潤すというよりは、むしろ突き刺してくるような、そんな感覚を覚える。やはり、喉が渇いたからといっても飲むものは選ばなくてはならない。
 ふと空を眺める。もう秋も近い。蟋蟀の鳴き声が、風に乗って聞こえてくる。

「もう走ってくれないんだね」

 鳴き声と一緒に、そんな悲しみに満ちた声が聞こえた気がした。視線を落とすと、私のすぐ目の前に、車が迫っていた。



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