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□あおたま怪談 0002

『古い携帯』



 最初に携帯電話を持ったのは、中学生の時だっただろうか。部活動で遅くなるからと、まだスマートフォンなどない時代に折り畳み式の小さな携帯電話を渡されたのが始まりであった。当時は大人はともかく、子供が携帯電話を持つかどうかはまだ微妙な時代だったのを覚えている。小さな画面に、16和音の着信メロディ。それでも写真を携帯電話で撮れることが驚きだった時代、私にとってはそんな携帯電話が宝物だった。
 そうして次の携帯、また次の携帯へと変わっていき、16和音だった着信メロディはCD音源をそのまま使ったようなものになり、やがて折り畳み式だった携帯電話は一枚のボタンも何もないスマートフォンに変わり、いつからか着信音なんて誰も気にしなくなった。月額数百円払って着信メロディの取り放題プランを契約していたあの頃は、もはや懐かしい。
 そして、その入れ替えた携帯は人によって処分の方法が違ってくるだろう。大事に持っておく人、物理的に破壊する人、データを消して売却する人、色々にあると思う。私は別に大事に持っておくわけでもなく、しかし売却するわけでもない。ただ適当なところにおいて、そのまま忘れ去るだけだった。
 スマートフォン全盛の昨今、携帯電話は連絡のための道具ではなく、万能な端末になっている。コンパクトデジタルカメラを持ち歩く人間はもはや絶滅危惧種で、動画や写真は高級カメラレベルの画質になり、何かを調べるのも片手で終わる。メールももはや周りの誰も使っていない。そんな中で、ふと昔の携帯電話を思い出すことがある。
 今思うと、本当に通信手段として特化した携帯電話は、人と人とのコミュニケーションを優先するものであったなと思う。今のスマートフォンは、無駄な情報のやり取りばかりだ。誰かも知らない人の、取るに足らないいろいろな情報や、さして興味もないあらゆる分野のニュースが、端末を手にしているだけで無限に流れてくる。
 あの頃の携帯電話は、人と人とを繋げる道具だった。電話番号やメールアドレスを交換して、直接的なコミュニケーションを、知っている人ととるための道具だ。今の端末は、顔も本当の名前も知らない人や、さして仲良くもない人と、無駄ともいえるほどのつながりを構築し、それが増えないことに恐怖する、ある種の呪いであるとさえ思う。
 だから、あの頃の携帯電話が私は好きなのだ。

 前述したように、私はかつて使っていた携帯電話を、売ることも捨てることもせずに、押し入れか引き出しか、あるいは適当な棚の上だったか、とにかく適当に放置して、そのうちになくす、というのが通例であった。だから、懐かしい、と思ったところでそれを探し出すのは至難の業なのである。なにせそれなりに広い家で、まったく片付いていないのだから、あれほど小さな端末を山のように溢れる荷物から探すのは難しいのである。
 しかし、そんな困難も、偶然が解決してくれる時がある。使わなくなった古い服を捨てようと押し入れを開けた際に、ころり、と当時の携帯電話が転がり落ちてきたのである。
 手に取ってみると、あの頃の思い出がよみがえってくる。そう、このころはまだ裏側の電池カバーが開いて、自分で電池を取り出すことができるのだ。外してみると、意外にも当時の形をそのまま保ったままの充電池と、カバーの裏側には、いつ撮ったか何故かはっきりと覚えている当時の友人たちとのプリクラ。こういったものも、当時のままであった。
 おそらく電池はとっくに放電しきっている。電源など入るはずもない。折り畳み式の本体をゆっくりと開き、無理だとわかりきってはいるが、電源ボタンを長押しする。
 ――と、端末がわずかに震え、画面が明るく発行する。当時そのままの会社名が表示され、起動音が流れる。あの頃のままの壁紙、そして、充電の残りは満タンであった。

 おかしい。
 この携帯を使っていたのは、今からもう15年以上前の話だ。仮に当時満充電でなくしたにしたって、15年以上もの間、電池が切れないなんてことはあり得ない。そもそも、これだけ放置していて、電源が入る事自体が異様だとさえも言える。
 ――放置していないとすれば。
 恐ろしい仮説と同時に、それが確信へと変わる。押し入れの中にあったとはいえ、携帯があまりにキレイすぎるのだ。どう考えても、15年以上経ったとは思えない。そしてもう一つは、この携帯の画面に違和感がありすぎるのだ。仮に電池が残っていたなら、日付は今日を示すはずだ。逆に電池が完全に死んでいたなら、時刻や日付は初期状態になるはずだ。しかし、この携帯が表示しているのは、私が中学生だったあの頃の日付なのだ。
 その直後、あの頃設定したメール着信のメロディが流れる。表示された差出人は、当時私の親友であった、私より学年が2つ下の、幼馴染の子であった。彼は、私が中学を卒業した直後に、いきなり家を出たきり、そのまま行方が分からなくなってしまったのだ。
 メールの本文は、あの頃のガタガタのフォントそのままで、シンプルな一文だった。

『迎えに来て』

 私は携帯を手に取ると、彼に電話を掛けた。回線もとっくに解約しているのだから、普通だったら、発信できるはずもない。しかし、呼び出し待ちの音が鳴る。2、3コールの後、彼は電話に出た。
 彼の声は、声変わり直後くらいの、少し掠れたあの頃のままだった。あまりの懐かしさに、涙が出そうであった。しかし、思い出話に花を咲かせている場合ではない、というのは、この異様な状況から察していた。
 私は彼に今の居場所を聞く。彼は具体的な場所を指定しなかったが、今いる場所から指示通りに行動してほしい、と言ってきたので、その通りにする。

 家を出て。
 3本目の通りを右に曲がって。
 かつての彼の家を過ぎて。
 その先の森の中に入って。
 そのまままっすぐ。
 小さな池が見えたら右に。

 指示通りに歩いていくと、誰にも見つけられないような、小さな朽ちかけた小屋があった。彼はその中に入るように指示した。外れてしまった扉を踏みつけながら中に一歩入ると、そこに、彼はいた。
 明らかに大人の物ではない、やや小さめの、白骨化した遺体が、椅子に座っていた。見ると、腕も、足も、ガムテープで椅子に固定されている。私はそれを見て、彼がいなくなったあの日に、いったい何があったのかをすべて察した。否、察したわけではない。電話から聞こえる彼の声が、『自分をこうしたのは両親だ』と告げているのだから。

 私は彼の未練を果たすべく、もう一つの、今使っているスマートフォンを手に取り、110番に電話を掛ける。彼と今こうして電話がつながっているのはさておき、白骨化した遺体を発見したとなれば、何が起きたのかは白日の下に晒されるだろう。
 呼び出しの最中、何か古い携帯から音が聞こえた気がした。彼が、何かを伝えようとしているのだ、そう思って、スマートフォンと反対側の耳に携帯を押し付ける。

『一緒にいてくれるんじゃないの?』

 あの頃のままの、無邪気な声だった。その瞬間に、小屋全体がミシミシと音を立て始め、一瞬のうちに、重い天井が、私と彼の上に落ちてきた。薄れゆく意識の中、微かに聞こえたのは、何が起きたかと問いかける警察の声と、彼の、懐かしい無邪気な笑い声だった。
 彼は、未練を果たしたかったのではない。親友であった私と、一緒にいたかっただけなのだ。



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