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□あおたま怪談 0010

『晩酌』


 
 若いころは晩酌の習慣など全くなかったし、それを必要とする人間の考えることさえも分かっていなかった。それどころか、毎日酒を飲んでばかりいる父親を毛嫌いしていたのもあって、毎日仕事の愚痴を酒にぶつけて酔っぱらって眠りにつく、そのような人間をとてもつまらないとさえ思っていたし、私が家を出た後、父が母と離婚し、そのまま体を壊して死んだと聞いたときも、葬式にさえ顔を出さなかった。自分は決して、そうならないと心に誓っていた。酒瓶に囲まれてたった一人惨めに死んでいた、そう聞いた時、私はその父とは真逆の人間になろうと、心に強く決めた。
 しかし、そんな自分もまた、あれから二十数年の月日が流れ、中間管理職という最もストレスの多い役職に就いて以来、その仕事のストレスを全て酒にぶつけるようになっていた。あれほどまでに毛嫌いしていた酒浸りの大人に、自分自身がなってしまっていることはひどく虚しいものであった。酒の飲みすぎで死んだ父親を軽蔑しておきながら、今度は自分がその軽蔑されるべき大人になってしまっているのだ。しかし、今更それを何とかすることはもはやできそうもない。私から酒を取ったら、このやり場のない上司や部下、そして世間への憤りを何処にぶつければ良いというのだろうか。この不自由な世の中で、何人たりとも傷つけずにこの憤りを発散するには、もはや酒しかないのである。
 あの頃の父への軽蔑は、今もまだ揺らぐことはない。そうして今、それと同じ道をたどりつつある自分自身にその軽蔑を向けている。しかし、もう私はまっとうな人間に立ち直ることはできなそうだ。幸いにして、毎年の健康診断では、何一つ異常はない。それだけが、私と父の違うところだった。

 晩酌といえば。私は毎晩酒を飲んでいるわけだが、それに関して不思議なことが一つだけある。
 日々酒を飲むにあたって、一つだけ自分自身で決めているのは、缶を開けて適当に飲むのではなく、せめて酒を楽しめるよう、安い酒を買わず、決して適当なつまみで飲むことをせず、良いグラスに注いで飲む、そういった丁寧な晩酌を心掛けるということだ。父親はそれこそ、アルコールさえ入っていればなんでもいいというくらいの人間で、4リットル入りの銘柄すら聞いたことのない安酒を浴びるように飲んでいたが、私はせめて、そういったみっともない飲み方はしたくなかった。飲む量に関しても決して少なくはないが、父のように泥酔して前後不覚になるということはない。私自身かなり酒に強い体質なのかはわからないが、ある程度までは酔いも回るが、それ以上飲んでも記憶を失うだとか、二日酔いになるだとか、そういった体の不調が起きることはないし、そうなる前に自発的に飲むのをやめるようにしていた。そういった意味では、まだ理性的な酒の飲み方をしていると自分自身では思っていた。
 それは別に不思議な事ではないし、自分自身が酒が強く、それなりに自制心があるというだけの話だ。何が不思議なのかというと、一口目を飲む前の話だ。私は飲む前、誰にというわけでもなく、グラスを高く掲げて乾杯のポーズをとるのだが、その時に「キン」とグラスが鳴るのだ。無論、直接何かに当てているわけではない。しかし、グラス同士をぶつけたような、そんな甲高い音が鳴るのである。最初こそびっくりしたものだが、次第に、これはきっとこの部屋に住む幽霊か何かが乾杯してくれているのだと思うようになった。この物件も両隣より明らかに安い何らかの事故物件だし、その程度の心霊現象なら逆に喜んで受け入れようと、そういう気持ちになってさえいた。どこの誰だかは知らないが、一緒に酒を飲んでくれる相手がいるというのは、とてもうれしいものだった。そのうちにグラスをもう一つ用意して正面に備え、それから酒を飲むようにすらなっていた。
 それゆえに私は外では飲まずに、家に帰ってきてからゆっくりと飲むことだけをしていた。純粋に酔いが回ると帰れなくなるというのもあるのだが、それがこの部屋に住む幽霊との唯一のコミュニケーションの方法なのだし、それをしないのはもったいないとさえ思っていたからだ。

 それを破ったのは、初めてだった。普段だったら私は飲み会でも一滴も飲まずに帰るのだが、その日に限って、外で酒を飲むことになった。別に、強制されたわけではない。ただ純粋に、たまたま付き合いで入った居酒屋に、めったにお目にかかれない上酒があったからだ。
 結論から言うと、私はたった1合で調子を崩した。今までどれだけ家で飲んでも体の不調を感じることはなかったというのに、まるで酒を1滴も飲めない下戸のように、私は赤くなるどころか青くなり、ひどい吐き気と頭痛に襲われた。私の容態に周りも慌てていたが、それ以上に、私自身が不思議でしょうがなかった。いつも飲んでいる酒の量は、この何倍もある。なのになぜこんなに急に体を壊したのか、私は不思議でしょうがなかった。
 ふらふらになりながら家に入り、敷きっぱなしの布団の上にごろりと横になる。ひどい頭痛に襲われながら、ぼうっと焦点の定まらない瞳で天井を見つめる。誰かが、私のことを上から覗き込んでいるように見えた。どこか懐かしく、それでいて、もう会うことはできない、そんな誰か――。
 それは、まぎれもなく父だった。どこか悲しそうな表情を浮かべながら、私の顔をじっと覗き込んでくる。不思議と、不調はあっという間になくなり、頭痛も、吐き気も、ぴたりと収まった。体を起こした時、もう父の姿はそこにはなかった。
 私はふと思い立って母に電話をかける。深夜ではあったが、父が死んだとき以来の突然の電話に驚きつつも応対してくれた。そうして私は、一つだけ質問をする。父が最期の時に住んでいたのは、いったいどこなのかと。

 母は住所を教えてくれた。それは紛れもなく、今私がいるこの部屋だったのだ。



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