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□あおたま怪談 0019

『メッセージ』



 昔の彼女と縁が切れないというのは、どうにも未練がましい男みたいで気に食わない。すっぱりと関係を断ち切って、それで互いに一切かかわらない、そのくらいしたっていいはずなのだが、実際はそうなってはいない。別に、俺の方から連絡を取ろうとしているわけではない。週に1回か2回ほど、元カノの方から連絡が来て、そこで直接話したりするわけじゃないが、人生相談のようなものをされる。確かに俺の方が彼女よりも8つ年上だし、人生の先輩であることに間違いはない。とはいえ、人生相談をする相手など探せば周りにいくらだっているだろう。それでも俺に連絡してくる彼女のことを、俺はどうしても見捨てることができなかった。
 別に未練があるわけではないし、向こうから仮に復縁してほしいなどと言われてもそうする気はさらさらない。かといって、向こうの申し出を迷惑だと思うほどでもない。それこそ確かに毎日途切れることなく連絡してくるようであれば鬱陶しいと感じることもあるだろうが、彼女からの連絡は週に1回程度だ。そして内容もごくあっさりと「○○についてアドバイスが欲しい」という程度のもので、それについてのアドバイスをいくつか送ってやると「ありがとう」とだけ帰ってきて、それ以上無駄な会話はしない。お互いのことを無駄に話すこともないし、それぞれに次の相手が出来たかどうかみたいな話も基本的には一切していない。彼女のことだ、見た目も性格も決して悪くないし、俺と違ってさっさと次の男を見つけていることだろう。何しろ俺たちが別れた理由も別に互いのことが嫌いになったとかではなく、純粋に趣味嗜好の奥底の、最も深い部分で価値観の反りが合わなかっただけで、互いに嫌ってしまう前に恋人関係を解消しよう、と互いに話し合って円満に別れただけのことなのだ。別に恨みもないし、彼女のことが嫌いになったわけでもない。そうであるからこそ、だらだらとこうして話す程度の関係で続いているわけで、そうであるからこそ、それが未練がましく感じてしまって嫌だ、とも思うわけだ。
 もともとが遠距離恋愛からの同棲だったので、別れた後は互いに一度も顔を見たことはない。こうして週に1回程度のお悩み相談以外はこちらから連絡することはしないし、彼女もまた、悩みが起きない期間もあるらしく、その間はぱったりと連絡は途絶える。だが、それでよい。この程度の距離感が、おそらく私たちにとって最も適した関係性なのだろうと思った。それこそ、インターネットの海の上で、互いの顔も知らず、たまにSNSで会話をする程度の、近いようで遠い存在こそが。

 ある夜、仕事から帰ってきてスマートフォンをチェックすると、いつもの通り、彼女からの連絡が入っていた。そこにはいつも通り、申し訳程度の絵文字を使った非常にあっさりとした彼女らしい文章で、「お疲れ様、ちょっと電話で話したいんだけど」と入っていた。普段であれば、彼女は決して電話はしない。連絡が来たのは本当に数分前のようで、俺は普通に「いいよ」と返信する。するとほどなくして、着信を知らせるベルの音が鳴り響いた。
『もしもし』
 懐かしい声で、彼女は話し始めた。あの頃の記憶が戻ってきて、なんだか少し心に来るものがある。俺は平静を装って「何?」と聞き返すと、彼女は小さな声で続けた。
『□□ビル、屋上……』
「え?」
『……』
 風の吹く音だけが電話口から聞こえてくるが、それきり、彼女は一言も発さないままに電話を切った。□□ビルというのは、俺の会社の近くの繁華街にある廃ビルで、自殺が多いことでも知られる場所だ。屋上、というキーワードと、夜のこの遅い時間、そして風の音。嫌な予感がして、俺はあわてて外に飛び出し、バイクにまたがった。
 どうして彼女があのビルの名を告げたのかはわからない。しかし、あれが彼女からのSOSなのだとしたら――。いてもたってもいられず、制限速度を大幅にオーバーしながら件のビルの前までくる。見上げても、屋上に人影はない。屋上に入るには、正面玄関が施錠されている以上、裏の非常階段から回る必要がある。この非常階段の入り口の鍵が壊れていることを、俺は知っていた。昔彼女と花火を見るときに、こっそりここの屋上に忍び込んだことがあるから。
 バイクを正面に停めて、裏口に回る。鍵は相変わらず壊れたままだ。駆け上がろうとしたとき、俺はぴたりと足を止める。なぜなら、今すぎてきたばかりの路地を抜けて、彼女が入ってきたからだ。
「……あれ、なんで?」
 彼女が不思議そうに首をかしげる。
「そう聞きたいのはこっちだよ。電話で話したいっていうから、いいって言ったらこのビルの屋上がどうとか……」
「え……?」
 より大きく彼女は首を傾げる。どうにも様子がおかしい。まるで、自分は一切連絡していないとでも言いたげな――。
「……連絡、したよな?」
「してない。しようか、とはよぎったけど、……してない」
「え……?」
 彼女はスマホの画面を私に示す。確かに、俺に対する発信は、前回の相談で止まっている。慌てて俺のスマートフォンを見ると、先ほどあったメッセージも、通話履歴も、何一つ残っていなかった。だとしたら、あの電話は一体なんだったのだろうか。
「……よくわからねぇけど、どうしたんだよ。わざわざこんなところまで来て、しかも、屋上に上がろうとしてたろ?」
「……」
 俺がそう問いかけると、彼女はぼろぼろと涙をこぼしながら、その場にうずくまってしまった。

 それからいろいろと話を聞いたら、真相は次のような感じだった。
 俺と別れて以来、彼女は何というか、鬱病のような感じになってしまっていたそうだ。それが本当につらくなってくると、何となく俺に連絡して、そうしてすこしメッセージで話して多少は良くなっていたようだが、それがどんどん悪くなって、もう限界だと俺に電話をかけるかかけないか迷っていたところで、そこからの記憶がないらしい。気づいたらあのビルに向かっていたようで、俺が問いかけた時点で、自分が何をしようと思っていたのかようやく気付いて、恐怖から泣き崩れたのだという。
 結局、どうせ互いに未練があるのだから、と我々はよりを戻すことになった。お互いに納得していたと思っていたのはどうやら俺だけだったようだし、奥底のそりが合わないところだって、別に致命的なものでもない。ある意味では、その事実を先に認識出来ていたのだから、何とでもできることだ。再び同棲し始めて、それからしばらくの間は彼女は不安定だったが、数週間も経つ頃には、すっかりとあの頃の彼女に戻っていた。
 あのメッセージが何だったのかはいまだにわからない。おそらくは彼女が無意識で発信したSOSか、あるいは、我々には理解できない何か不思議な力によるものなのか。いずれにしても今わかっていることは、あの時点で彼女はかなり限界であったことと、俺たちは結局別れるべきではなかったということだけだ。

 そういえばあの数日後、あの屋上で飛び降り自殺があったらしく、非常階段は改めて施錠されたらしい。なんでも、女性の方が飛び降り自殺をして、それを止めに来た元彼が後追いするようにそこから飛び降りたのだそうだ。ニュースによれば、彼女の方から彼氏に連絡して呼び出し、彼氏が見ている前で飛び降りた、というのが現場に残されていたスマートフォンから分かったらしい。
 名所と呼ばれるほどに自殺が多いことは知っていたが、今回の一件で詳しく調べてみると、あくまで不確定なネット上の情報ではあるが、あのビルでは彼氏と別れた女が飛び降りる事件が連発しているらしい。
「呼ばれたんだよ」
 彼女はそう振り返った。俺たちはあれから、あのビルには決して近づけないほどに遠い場所に引っ越し、全ての環境を切り替えた。もしもあそこの近くに再び行ったら、こうして幸せの絶頂にあっても、また呼び戻されてしまうかもしれないからだ。

 だって、あれから毎日謎の番号から、「なぜ止めた、許さない」というメッセージが俺の携帯に届くんだ。



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