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□あおたま怪談 0022

『夢』



 夢を見ていたのかもしれない。否、夢を見ていた、という表現すら正しいのかわからない。何しろ私が今夢にいるのか現にいるのかを証明するものは誰もない。目に映る白い花瓶の残骸も、窓を洗う雨粒も、広い部屋を唯一照らす釣り行燈にも似た小さな照明も、私から見えているそれら全てを夢か現か判断することはできない。何しろ例えばここに他人が来たとして、その他人すら、夢の存在であることを否定できないのだ。人間というのは脆く弱い生き物というが、それは恐らく、そういった余計なことを考え、目の前にあるものを疑うこの頭こそがその弱さの元凶に他ならないのだ。
 しかし、夢であれ現であれ、目の前にあるあらゆる事象を容受するには自分が正しい判断をすることを放棄する必要がある。正しい判断をするならば、これは夢でしかない。しかし同時に、正しい判断をするならば、これは夢ではない。目の前のどうしても現実で説明できない事象を説明するには夢に逃げるしかない。しかしこの鼻腔を満たす悪臭や、どろどろと粘度を持った不気味な空気の実在性は、夢で片付けることはできようはずもない。
 だとするならば、これは果たして、夢か現か。

 夕刻には帰るつもりであった。知り合いの所有する山にある洞窟に鍾乳洞があるという事で、それらを調査するために私は山の奥深く、獣のほかに気づくことはおよそできそうもない場所にある洞窟に入った。装備は決して貧弱なものではなかった。何しろ大学の調査の一環であるから、事故が起きてからでは遅い。いつでも連絡が取れるように無線も用意しているし、洞窟には一人で入るわけではなく、私の元で助手として働く若い研究員とバディを組んで入ったのだ。しかし、運命とは非情なものである。持ってきた無線機は何故か電源が入らなくなり、バディは私が一瞬目を離した隙にはぐれてしまった。それどころか、持ち込んだ懐中電灯やヘッドライトの類は全て電源を喪失し、スマートフォンもいつの間にか壊れていた。ものの5分のうちに私は一人、無音の暗い洞窟の中に取り残されることとなったのだ。
 助手の声が聞こえないのは明らかに異常事態であった。すぐ隣に、軽く手を動かせば当たるほどに近くにいた男が、ほんの一瞬、それこそ軽く辺りを見回す程度の時間のうちに声も立てずに居なくなるなどという事はあり得ない。確かにあの時は、その一瞬に明かりが失われた。しかしだとするならば、臆病な助手のことであるから速やかに耳を劈くような悲鳴を上げることであろう。にもかかわらず、助手は声一つ上げることなくこの空間から居なくなったのだ。
 連絡がないことに気づけば、おそらく救助は来るだろう。しかしそこまで、ただのんびりとここで待つことは耐えられなかった。この暗くじめじめとした空間で、一歩も動くことなく微かな明かりもない環境にいては、私は恐らく気が狂う事であろう。だとしたらせめて、外に出る努力をしたかった。右手をぴったりと壁につけて、足場を探る様に滑らせながらゆっくりと前に進んでいく。まだ明かりがあるときに見たこの洞窟は、まるで人や動物の手によってわざわざ掘られたかのように、まっすぐに穴が続いていたように見えた。だとするならば、引き返せば穴の外に出ることであろう。問題があるとすれば、電気を失った際に自分がどちらから来たのかを見失ったことであるが。
 一歩、また一歩、何度繰り返したか計り知れない。そうしているうちに、穴の先にわずかな光を見た。私は足元だけに注意しながら、まっすぐとその光の方へ向かっていった。どうやら、外につながっているようである。助かった、そう私は思った。先ほどまでとは違い、一歩一歩を動かす速度が上がる。光はだんだんと近づいてきて、そうして外に出て、私は安心すると同時に絶望した。確かに、そこは洞窟の外に他ならなかった。しかし私が出た先は、入ってきた場所ではない。全周を断崖に囲まれた、深い穴の底なのだ。私たちが入った洞窟の周囲に、そこまで大きな崖などなかった。感覚はなかったが、どうやら私は相当に坂を下ってきたようである。
 だとしても、光がない状況と比較すれば、断崖に囲まれたこの空間は大分良いものだ。それに、もしも数日が経過して救助の気配もないようならば、リスクはあれど、再び先ほどの穴に戻ってまっすぐ進めば、入り口に戻ることもできるかもしれない。断崖に囲まれているとはいえ空ははっきりと見えているので、ここにいれば上から見下ろされた際も気づかれないことはなさそうだ。到底登れるようなものではないが、人が見えぬほどに距離があるわけではないし、日の光もしっかりと届いている。私は少し楽観的になり、改めてこの広い空間の、大穴の底をじっくりと眺めてみた。広さはやや広めの公園といったところで、反対側の崖まで石を投げようと思ったらおそらくは届かないであろうほど。崖の上まではざっと見たところ、7階建てのビルくらいの高さがあるだろうか。
 そうして見渡していると、この何もなく、草木ばかりがあるこの穴の底に、一軒の小屋が建っていることに気づいた。蔦に覆われていて、おそらく人が住んでいることはないであろうものだ。ゆっくりと近づいてみると、それは小屋どころか、平屋の一軒家くらいの大きさはあった。建物はコンクリートでできていて、全ての窓にはガラスがしっかりと嵌っていて、割れているものは一つもない。扉は頑丈な鉄で出来ていて、わずかに入口に隙間がある。鍵はかかっていないようだ。ぽつ、ぽつと雨が降ってきたので、私は意を決して、ゆっくりと扉を引き、中へと入る。外観上は何かの研究施設のように見えるが、だとしたら、何故このような洞窟を抜けた先の、開けた空間にあるのかが分からなかった。しかし逆に、私たちが「鍾乳洞がある」と聞いて洞窟に入ってきたうえで、その洞窟がまっすぐで、人工的な印象を受けたのも入るべき洞窟を間違えたのだという事で合点がいく。つまりはあの洞窟は本当に直線状で、まっすぐに行くだけで外に出られる可能性が上がったということでもある。しかしそれ以上に、この未知の建物の、その全貌が気になって仕方がなかったので、引き返して外を目指そうなどという考えは、一瞬たりともよぎらなかった。
 建物の右側にあった鉄の扉から入った先は、ちょっとした小部屋のようであった。大きな赤いソファーが奥に一つと、それと合わせたような真っ赤な絨毯、控えめなシャンデリアが天井からさがっている以外に、内装らしきものはない。正面に見える窓にはカーテンもかかっておらず、建物の裏側の藪が見えている。不思議なことに電気は通っているようで、シャンデリアの電球はぼんやりと光り、部屋の中を照らしている。左を見ると、やたらと立派な、何やら変わった装飾が施された木の両開きの扉がある。その扉を開けて中に入った瞬間、空気が一変した。
 扉の先は、この建物の残りのエリア全てを活用された大きな部屋だった。それはまるで教会のようで、中央にまっすぐに部屋の奥へと続く様に赤いカーペットが敷かれており、その両端に奥に向けられた椅子が並んでいる。最奥には祭壇のようなものがあり、その中央に、言葉では説明できないほどに奇怪な、鳥とも蛇ともつかぬ生き物の、身の丈よりも数倍は大きなオブジェが置かれている。そして、その手前に、何やらバスタブのような、大きな器が置かれている。
 目を疑った。オブジェの手前の、祭壇の少し広くなったところに、赤い液体が満ちている。その中に、微かに白っぽいものが見えている。それは、よく見知った者の顔だった。先ほどはぐれたばかりのはずの、助手の顔だった。先ほど沈められたような新しさではない。明らかに彼一人の分ではない大量の血で満たされた器の中に顔だけを突き出して浮かぶ彼は、もう既に腐敗が始まっている。そんなはずはない。もしもこの建物の中に異常者がいて、未知の得体の知れない神にささげるための贄としたのであっても、彼と別れたのは、わずか数十分前のことなのだ。
 数十分前でなかったとしたら――。この山の洞窟に鍾乳洞があるという報告があったのは、ほかならぬ彼からだ。彼はこの山を所有する知り合いの幼馴染で、そのよしみでこのあたりを散策していた時に見つけたと話していた。それが嘘だったとしたら。否、それが嘘であれば、彼はここに居ないのだ。だとすれば、彼が”彼でなかったとすれば”――。彼はもうここにいて、新たな贄の為に、誰かが彼になりすまし、私を呼び寄せたのだとすれば――。
 考えていると、背後の扉が開いた。振り返ると、そこには「彼」がいた。
「ひどいじゃないですか、先生、僕を置いて先に行っちゃうなんて! ……っていうか、なんすかこの部屋。なんすかその、変な風呂みたいな……」
 その一挙手一投足も、間延びしたような情けない声も、私に対する言葉遣いも、間違いなく彼だ。だが、彼ではない。彼なのだとすれば、今頃になって現れるはずがない。それ以前に、彼は先ほど、そこのバスタブのような器の中で、腐りかけた顔を浮かべていたではないか。
 夢なのだとしても、現なのだとしても、どちらにせよ、私はもう何も判断することはできない。しかし、今目の前にいる彼が本物の彼であったにせよ、それとも偽物だったにせよ、私が無事にここから逃げるために、彼は、必要ない。私は祭壇の横に置かれた白く重い大きな花瓶を手に取り、彼の方へと歩み寄って、そして、手に持った花瓶を振り下ろした。花瓶は粉々に砕け、彼はわずかな声を上げただけでその場に倒れ込んだ。割れた頭から流れ出る夥しい量の血が、彼が実体をもってそこに存在していることを証明している。もう戻ることはできない。今できることがあるとすれば、これが夢で、目を覚ました時に私が部屋のベッドで横になっていることを願うことだけである。しかし無情にも、この空間に満ちる臭気はより生々しく鼻腔から肺へと満ち、しんとした部屋の中に響く窓を洗う雨の音が、より一層大きく私の耳を震わせてくる。それどころか、新たな贄の発生を受けて、背後の蛇とも鳥ともつかぬ化け物の像が、じわじわと実在性を増していくのを感じる。
 否、果たして像であったのか。確かに先ほど見たとき、それは像に見えた。しかしそれは、言葉では到底表現することのできないその異質さによって像と判断しただけであって、それが何で出来ているか、一切動かないものなのかを判断した覚えはない。だとするのならば、それが生命活動を行う生き物であり、私や他の人間の計り知れない世界の、全く新しい生き物だとすれば――。

 夢を見ていたのかもしれない。否、夢を見ていた、という表現すら正しいのかわからない。何しろ私が今夢にいるのか現にいるのかを証明するものは誰もない。目に映る白い花瓶の残骸も、窓を洗う雨粒も、広い部屋を唯一照らす釣り行燈にも似た小さな照明も、私から見えているそれら全てを夢か現か判断することはできない。しかし、これが夢であれ現であれ、今この空間にいる私にとっては主観的に事実である。振り返った私の目の前で、床を流れる血の広がりを集め、ぞっとするような音を立てながら動き出している、像でしかないと思っていたはずの奇怪極まりない巨大な化け物も、また事実なのだ。



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