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□あおたま怪談 0023

『捨て犬』



 あれは、まだ私が小学生だったころの春の日、今でも鮮明に思い出す話だ。
 学校帰りの道端に、犬が捨てられていた。段ボール箱の中に、薄汚れた毛並みの、小さな犬がぽつんと座っている。アニメや漫画で見るような「ひろってください」と書かれた箱の中で、どう見ても飛び出せそうな高さしかないその壁を、決して飛び越えることなく、ずっと何かを信頼してそこに座っているような感じで、犬はじっと正面を見据えていた。私たちが目の前を通っても吠える気配すら見せず、ただじっと、誰かの――おそらくは飼い主の――帰りを待っているかのように、犬はただじっと素直にその箱の中で座っていた。
 拾って帰って、お風呂で綺麗にしてあげて、そうして美味しいご飯をたくさん与えたい。そう思ったが、私にはそれはできなかった。我が家はマンションでペットは禁止、そして父も母も、そして私も動物の毛などにアレルギーを持っているから、決して私が飼ってあげることはできない。とはいえ、何か食べ物を買ってきてあげてこの箱に入れて、そうして拾ってもらうその時を待ち続けるなんて言うのは無責任極まりない。にっちもさっちもいかず、私はその素直な視線をまっすぐに受けながらも、何もできずにいた。幸いにして季節は春、天気もずいぶんといいようだし、おそらくは数日間の間であれば耐えられるだろう。一応拾ってもらうまでのエサは元の飼い主が入れていたようで、段ボールの片隅にこんもりと大量のドッグフードが入っている。優しい誰かの到来を祈りながら、私は後ろ髪をひかれつつも、その場を後にする。
 家に帰ってその話をしたら、本当だったらうちの子にしてあげたいけど無理があるね、と母は言った。母も別に犬が嫌いなわけではない。それは父も同じことで、犬が嫌いなのではなく、体質的に家の中で飼うことができない、というだけの話なのだ。結局のところ、我が家がペット禁止ではなく、なおかつ一軒家であったなら、あの犬は今頃、私の家にいることだろう。ペット禁止のこのマンションで、ペットを飼っている人は実際のところそれなりにいる。しかしそれは皆、家の中で、決してばれないように気を遣いながら買っているのだ。それができない以上は、誰かの到来を待つしかないのだ。
 その翌日、学校に向かっていると、あの犬はまだそこにいた。じっとまっすぐに何かを見据え、未だに飼い主の戻りを待ち続けている。私はそれを見て、ひどく心が締め付けられたように感じた。この犬はおそらく本当に従順で、飼い主のことを心から愛していたに違いない。そうでなければ、今頃この浅く容易に脱出できるこの段ボール箱から外に出ているはずだ。それをしないのは、ひとえに飼い主への忠誠心あってこそのことなのだろう。だからこそ、そんな良い子にそういった仕打ちをしている飼い主のことが、私はどうしても許せなかった。もしもここにこの犬を捨てた飼い主が来たのなら、張り手の一つでも食らわせてやりたい、私はそう思いながらも、何もしてあげることはできず、そのまま学校へと向かった。
 授業の間も、ずっとその犬が気になって仕方がなかった。どうにもできないということは分かっているが、それをどうにもならないで済ませたくない。何かできることはないだろうか。保護団体に引き取ってもらうとか、或いは学校で誰か拾ってくれる子を探すとか。しかし私は決して友達が多いわけでもないし、むしろ少ないというか、他の子に話しかけること自体がほとんどないほどの根暗で、犬の話など持ちかけられようはずもない。自分の無力さを痛感しつつも、その犬のことは、一瞬たりとも頭から離れることはなかった。
 その日の帰り道、犬はまだそこにいた。相変わらずまっすぐに視線を向けて、浅い段ボール箱の中で、じっと座っている。弱っている様子もないし、元気そうではある。しかし、昨日見たときとドッグフードの量は変わっていない。どうやら一晩明けてなお、一切食べていないようだ。おそらくは飼い主の指示で座らされて、そうしてそのまま、食事もとらずにじっとしているのだ。なんて忠誠心の高い犬なのだろう。私はその姿に感動するとともに、より一層、この犬をここに置き去りにした誰かのことが憎く思えてきた。そうしてそれと同時に、何もできない自分自身へのいら立ちもまた募っていく。これほどまでに利口なこの子を、誰か助けてあげてほしい、そう祈りつつ、その日も私は何もできないままにその場所を後にした。
 それから土日を挟んで、4日、5日と時間は過ぎていく。毎日学校へと向かう道と、学校からの帰り道にその犬はそこにいる。じっとまっすぐに前を見据え、決して動くことなく、決して吠えることもなく、飼い主の帰りを待ち続けている。それを見るたびに、捨てた元の飼い主への憤りと、何もできない自分への憤りが大きくなっていく。
 それが爆発しそうになった6日目の朝、犬はやはりそこにいた。しかし、もう犬はぴくりとも動かない。浅い段ボールに横たわり、じっと動かないままに、冷たい雨の雫をその体に受けている。そっと身体を触ると、ひんやりと冷え切っていた。私はひどく後悔した。せめてクラスの誰かにこの犬の存在を伝えることが出来ていれば、あるいは、愛護団体などのしかるべきところに連絡出来ていれば、この子は死なずに済んだのかもしれない。この人通りの少ない裏通りの物陰で、たった一匹で寂しく死んでいくことはなかったかもしれない。そう思うと、本当に自分が情けなく思えてきて、涙がこぼれてきた。何もできなかった私は、近くにあった花を摘んで、そっと冷たくなった体の上に乗せた。そうして恐ろしいことに、「元の飼い主が、今、この犬と同じように一人で死んでしまえばいいのに」と強く思ったのだ。
 直後、ドン、という音がした。慌ててそちらを振り返ると、この通りの入口に人――あるいは、人であったもの――が落ちていた。どうやら、このビルの上から落ちてきたようだ。身体を丸め、その姿はまるで、箱の中で冷たくなっていた犬の形そのものだった。

 あれが、あの犬の飼い主であったかどうかは、二十歳を過ぎた今でもわからない。ただ一つ言えることは、あれ以来、怒りに任せて誰かの死を願うと、その通りになってしまうという事が何度もあった。だから私は、中学の途中から引きこもりになって、外に出られなくなってしまった。
 外で多くの人に触れたらまた、誰かを殺してしまうかもしれないから。



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