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□みずち的ミニマリズムの記録
□序章 0-2:ミニマリズムの目覚め ![]() 私がミニマリズムに目覚めたのは、2021年の夏であった。 前項の通り、私はマキシマリストに近い思考の元、あらゆるものを大量に集め、あらゆるものがいつでも選べる状態が至高だと感じていた。そして前項の物はそれぞれが私にとってあくまでも「好きな物」という立ち位置の話であったが、この思考が適用されていたのは「好きなもの」のみならず「日常のすべて」において、数が多いことが重要であるという思い込みが、私の価値観の奥深くまで侵食していたのである。 実例として、仕事場の道具類が挙げられる。元々の工程では5段のレターケースを2つも持ち込んで色々な物をしまい、机の引き出しには少しでも使う可能性があるものを大量にため込み、棚には個人的な荷物を置き、全ての使う「可能性がある」ものがいつでも自分の周りだけで集められる状態を作っていた。傍から見たら物に囲まれていてうっとうしそうだと思うような机周りであったが、実際その時の私は、全ての物が手元にあるその環境こそが仕事のやりやすさに直結すると信じて疑わなかったのである。あれもこれも、どんなものでも持っていて、それらがすぐに取り出せる環境は仕事の効率化にもつながり、多少スペースは圧迫されるにしても、在庫がなくなるという事もないし、全てが手元にあれば余計な移動をしなくていい分、結果的にはプラスになると考えていたのだ。 それは仕事だけではない。家についてもそれと同様で、少しでも使う可能性があるものは5秒で取り出せる場所にあってほしかったので、机の周りには引き出しをとにかく大量に増設し、あらゆるものがしまえる機能的な机――今思い返せばそれは機能的とは呼ばないが――を目指してカスタマイズを続けていた。それゆえに机上のスペースは狭く、作業するにも困るほどであった。これはマキシマリストではなく、ただ単純に、物を増やすことが良いと考えている汚部屋の住人の考え方でしかなかった。 そんな私がいかにしてミニマリズムに目覚めたか。そのきっかけの1つ目は2021年の7月ごろに遡る。この当時はミニマリズムというより、断捨離を行うようになったというだけの話が近い。7月ごろ、何かはあまり覚えていないが、ひどいストレスで色々なことにストレスを感じるようになっていた時に、大量のフィギュアを断捨離したのがまず「物が多いことへのストレス」に気づいたきっかけであった。それがある意味でまず1つ、多いことが最善ではないと思う一つのきっかけにはなっていた。その時点ではただの断捨離であったが、ミニマリズムという考え方を本格的に考え始めることになったのは、もう少し後に2つ目のきっかけがあった。 2021年の年始、私は品質を管理する工程から現場に異動となり、その現場でも大量に道具を持ちたいがために16個も引き出しがついた道具箱を持ち込み、机の上に置いていた。そうして仕事をこなして、部署の中でも仕事の速さやクオリティは上位と自他ともに認める状態になっていった。大量の荷物が机の上にあるが、それらは全て引き出しの中にしまわれていた為、散らかっているというほどの印象を与えるほどではなく、それらを注意されることもなかった。 しかし、コロナウィルスが流行し始め、2021年の夏に私自身もその診断を受けた。一週間以上家から出られない生活をすることになった。熱が出たのは最初の1日だけで、あとはひどく元気な状態で過ごしていたのだが、部屋から出て同居の両親に感染させる可能性があるという恐怖から、とにかく最小限の移動だけで、部屋の布団の上でじっとして、まるで息をひそめるかのようにその数日間を過ごしていた。私のミニマリズムの目覚めは、その数日間に感じたいろいろなことがきっかけであった。 部屋にいると、物が多いことを無性にストレスに感じることに気づいたのは、感染から数日が経った頃の話である。とにかくどこを見ても情報が溢れていて、圧迫感すらも感じる部屋の状態が嫌で嫌で仕方がなかった。いつ両親に感染してしまうかという恐怖と、部屋から出られない生活によってストレスは限界に近い状態になっていて、その中で「大量に物があることが良いわけではない」という事に、私は気づいたのである。 そしてその療養中、ひたすらにYouTubeを見ることだけを繰り返していた中で、名前だけは知っていたミニマリズムという考え方について触れることとなる。きっかけとなったのはホスト界の帝王であるローランド氏の動画で、そこで解説されていたミニマリズムという考え方は、私が感じていたことと近いものであった。明確にいつからミニマリズムを意識しだしたかというのは今となってはあまり覚えていないものの、このコロナ療養期間が直前から感じていたものが多いことのストレスの自覚と合わせて、多ければ多いほど良いのだという私の価値観を大きく変化させたのは間違いない。 結果的に私自身もそれからコロナらしい症状が出たことは1度もなく、両親も私の結果が出てから1日遅れて検査を受けて陰性が確定、それ以降熱が出ることも喉が痛むことも一切なく、果たしてアレが本当にコロナであったかもわからないままに、何事もなく終わった。しかし、休みの間で私の価値観は大きく変わり、大量の物が溢れている事が逆にストレスになるという事に気づいた私は、職場にあったいろいろな物を必要最低限まで絞ることにした。元々備え付けられた引き出し1段に入る工具のみを残し、使っていない工具は共用の棚に戻し、本当に必要な物だけを厳選した。結果的に引き出しは即廃棄し、机の上に置いていたアルコールのボトル等は正面に据え付けられている棚に収納し、机の天板の上には個人の裁量で廃棄や移動が出来ない備品以外何一つ置かれていない状態を作った。そうして随分と物が減った状態で毎日の業務をこなしていく中で、不便だと思う事は1つもなかった。たまにしか使わない物を手元に置いておくより、それを必要な時に取りに行く手間が増えたとしても手元に置かないでスペースを開けておくことが、結果的に気分良く仕事ができることが分かった。そうして私は、ミニマリズムの考え方を職場に導入し、物をあまり持たない人間に変化していった。 それから1年後、私は元の工程に戻る事となった。引っ越しの際に大きな袋1つとレターケース5段まるごとあった荷物は、戻る時には片手ですべて持つことができるだけの量になっていた。物が手元にあることが良いと宣っていた私は、すぐ使わない物は一か所にまとめて置けば良いという考え方になり、むしろ他の同僚が大量に机に物を積んでいる状態を注意する側に回った。そうして私は会社のスピーチなどにおいてもミニマリズムの良さを語るほどに、昔と違う価値観を持つようになったのである。 無自覚の内に感じていたストレスなどは含めないとすれば、2021年の7月に思い付きで断捨離をした時に感じたストレスの解放感と、コロナ療養期間の長時間の自室引きこもり生活の2つがはじまりであった。それ以来、時折何かにハマっては爆買いを繰り返すものの、趣味以外の物については基本的にミニマリストの考え方を基礎として生活するようになっていったのだ。服は同じ服を数着用意して洗濯が終わった物を順番に着るようにして、荷物は本当に必要最低限の物しか持ち歩かず、趣味以外で物を購入する際の基準を明確にし、何でも増やせばよいという考え方を捨てた。 今私がミニマリストであると明確に自称できないのは、好きなものを物欲に負けて最大限増やしてしまうという悪い習慣が抜けないことにある。しかし、趣味に関係ないところは徹底的にミニマリズムを取り入れた生活を続けている。 まとめると、私のミニマリズム的思考の始まりは、2021年に強く感じていたいろいろなストレスと、コロナ療養期間での生活、そしてその際に見たローランド氏の動画が原点であった。そうして、趣味に関しては意図的にマキシマリズム的思考――ただ無秩序な物の増加ではなく管理下における状態を維持するのを前提とした物欲の解消――を残しつつも、本質的な生活はミニマリズムをしっかりと取り入れるようにして今に至る。 逆に言えば、それから4年が経過しているにも関わらず、最終的なミニマリズム的思考――趣味においても物の増加を抑えてミニマリズムの考え方を維持できる状態――は達成できる気配がないとも言えるのである。ミニマリズム自体は比較的単純な考え方であるが、それを達成するための物欲という障壁は、非常に高いものなのだ。 コロナ禍でミニマリズムの魅力に気づき、生活に取り入れるようになった。 しかし、物欲という障壁を前に、ミニマリズムを維持するのはとても難しいのである。 ![]() 前へ 次へ 目次に戻る その他駄文に戻る その他のコンテンツに戻る ▲ページの上部へ |