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□みずち的ミニマリズムの記録

□第1章 思考
 1-1 私の思う上質な暮らし


 私の思う上質な暮らしというのは、「暮らしに充足感があり、無駄もなく、そこにあるもの全てが自分にとって大切なものである状態」である。
 ミニマリズムという手法を用いようと思った理由の一つとして、自身の生活が非常に荒れていたことがある。机の上には物があふれ、大量のフィギュアは埃を被り、食事は適当、買い物は目に付いたものを必要不必要を気にせずに買い漁る、そういった生活は、とにかく質が悪かった。いつも何かにイライラして、買い物に行けないとイライラが募り――。そんな質の悪い暮らしを脱却し、上質な暮らし方をすることが、私がこのピンポイント・ミニマリズムを実行する最初の目的であった。
 とはいえ、そもそも上質な暮らしとは一体何なのか、それが決まらなければ一体何の目標を立てて、何に向かって邁進していかなければいけないのかがわからないというもの。そのためにまず、上質な暮らしとは何なのかを何となく考えてみる。
 好きなものを食べ、好きな事をして、好きな物に囲まれて生きていくのが上質かと問われれば、必ずしもそうではない。あらゆる欲望を満たし、それによって健康を害することがあったり、生活空間や生活費を圧迫したりすることは決して上質であるとは言えないだろう。上質な暮らしというのは、まずは何よりも「心身とも健康で満ち足りた状態」が上質と言えるのだと思う。健康の為にはいろいろに我慢も必要だし、金銭的な充足感が全くない状態は精神的に良いものとはいえない。かといって何もかもを封じて色々なものを全て我慢して、それで金銭をかき集めたとしてもそれもまた上質とは言えない。他のミニマリズムについて書かれた本の受け売りになってしまうが、「足るを知る」ことが上質な暮らしの第一歩になるのだと考える。満ち足りた状態というのは、器の大きさで決まる。巨大な器にどれだけ水を注いでも満杯にはならない。小さすぎる器に水を満杯に注いだとしても喉を潤すことはできない。丁度よい器はどのくらいなのかを考えることが、まず第一のステップなのである。
 また、仮に器だけ適正にしたとしても、そこに再び濁った水を満たしてしまえばそれでは意味がない。器に注ぐ水は常に澄んでいなければいけない。濁った水を満たしては捨て、また濁った水を満たしてを繰り返すことになってしまう。器に水を入れ直すにしても、新たな水は澄んでいなければいけないし、澄んだ水を入れたとしても、底に残った泥を取り除かねば水は濁ってしまう。そんなものが器に満ちている状態は、どう考えても上質な生活とは言えないであろう。その澄んだ水だけを貯める作業として、何が自分にとって必要かを厳選し、本当に必要で本当に好きでいられるものを満たし、汚染された水を通さぬように不必要なものを徹底的に排除していくことが必要だ。

 そのうえで当時の私はどうだったかと問われれば――今現在も完璧に改善出来ているわけではないが――無駄に大きな器を用意してはそこに泥水をどんどん満たしていくような生活をしていたわけである。そんな状態から先ほど述べた様に器を適切にして澄んだ水を入れていこうとすれば何をすべきか。まずは大きな器に貯まった汚れた水を排出して、新たな器を選定して、そこに一から新たに水を貯めていくのがよいであろう。しかし、現在の荷物や趣味嗜好の類を全てリセットできるならともかく、日常生活を完全に数ヶ月ストップさせられるわけではないので、そういう離れ業は難しい。まずは溜まっていた水を適当な場所に避けて器を選定し、その器に、溜まった水の不純物を取り除いてある程度入れ、そのうえで余った容量分でこれからを考えるという作業が必要になる。この作業が「断捨離」だと私は思うわけだ。そうして本当に必要な上澄みだけを、新たな器に満たしていく。そうして器とそれを満たす水を上質なものにしていく。こうして初めて「上質な暮らし」が完成するのだ。全て残した状態で器を変えることも、全て残した状態で水を澄ませることもできない。不純物を取り除いただけではまた余計なものが混入するし、いつまでたっても満たされることはない。上質な暮らしは、物の断捨離と、自分自身の求める器の大きさを見直す作業の両方があって、初めて実現ができるものだと考えている。私が実践してきたピンポイントのミニマリズムは、この器の見直しと不純物の除去を簡単に行えるツールとして丁度良いのではないかと考えている。
 もちろん、元から多くを求めない人間はその両方をする必要はない。しかし、それでも満たされないと感じることがあるのならば、自分の器に貯まった水は澄んでいるのか、あるいは自分の器は本当に自分の大きさに合っているのか、それを少し考えてみるのもよいかもしれない。

 大きすぎる器は満たせない、小さすぎる器では満たされない。
 器の水が濁っていては意味がない、澄んだ水を適切な器に満たしていこう。




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