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□みずち的ミニマリズムの記録

□第1章 思考
 1-2 ミニマリストとシンプリスト


 ミニマリストという言葉のほかに、シンプリストという言葉がある。物を減らすことを徹底するミニマリストと、好きな物だけにターゲットを絞ってシンプルな生活をするシンプリスト、果たして私はこれらのうちどちらなのであろうか。
 ミニマリストという生き方をする人は少しずつ珍しくもなくなってきているし、本屋に行けばミニマリスト入門のような本もたくさん売られている。一方で、シンプリストという言葉に関しては――少なくとも私が観測している範囲内においては――比較的マイナーな言葉だと思っている。いろいろなウェブサイトなどで紹介されている内容を見ていると、私はミニマリストよりもシンプリストに近しいのかもしれないななどと思うこともあるが、少なくともこのシンプリストという言葉は、私が見る限りミニマリストとして発信している諸兄の大半が当てはまっているように感じる。シンプリストという言葉は、あくまでも私の感覚だが、ごく一部の「物が極端にないことこそが至高なのだ」という極端なミニマリストのみを「ミニマリスト」と表現し、それから少しでも物を増やすポイントがあるような人はミニマリストではないと強調しているように感じている。人によっては「ミニマルな暮らしが好きなわけではないし、シンプリストという言葉の方が合う」という人もいるようだが、正直この表現に関しては極端な人でもない限り「ミニマリストを名乗るかシンプリストを名乗るか」くらいの違いなのではないかな、と私は思っている。ネットにあるような定義で分類するのであれば、私がいつもYouTubeで見ているミニマリストはほとんどがシンプリストだ。
 では私はどうなのか。私はその理屈で言えばシンプリストという表現になるだろう。しかし、どうにも私はその言葉は好きではない。そうかといって私はミニマリストを自称するほどに物を減らすことを優先しない。とはいえ、色々な面で物を減らすことは重要であると感じているし、それを実行するためにいろいろなミニマリズムの本やミニマリストの動画などを参考にしている。それに、色々な記事において「シンプリストは最低限よりも好きかどうかを重要視」と書かれていることが多いが、私は減らす物に関しては「最低限」を最重要ポイントにしている。そういった意味では、趣味で増やしているものはシンプリスト的思考、そこまで好きでない物は徹底的にミニマリスト的思考であるので、正直どちらであるとも言えない。故に私は本稿のタイトルを「ピンポイント・ミニマリズム」としているのだ。
 私が実践しているのは、確かに全体的に見ればシンプリスト的思考になるのかもしれない。しかし、私は趣味の物こそ大量に所有することも厭わない生活をしているが、そうでない物についてはデザインがどうだ、使い勝手がどうだよりもまず最小限を求めるのだ。例えば筆記具は150本を軽く超える量を所持しているし同一の物が複数あったりもするが、髭剃り等を選ぶ基準は専用の充電器を用いないもの(つまりは専用の充電器を持つ必要がないもの)であるし、掃除機は持たない(コロコロで掃除をすれば管理負担がない)主義であるし、後々触れるが、衣類などはそれこそ徹底的なミニマリズムを実践している。趣味に関しても、増やすことを決めるものについてはまずミニマリスト的思考で要不要を検討し、最小限で済むものに関しては最小限、あえて増やす選択をするものに関しても管理負担という言葉を合言葉に増やし方を決める。なおかつ、家にある趣味の物以外は徹底的にミニマリズムを実行し、仕事場では本当に最小限しか物を持たない程度にはミニマリズムを徹底している。そういう意味においては、私が基準としているのはシンプリスト思考というよりはミニマリスト的思考なので、故に「ミニマリズム」という言葉を用いているのだ。そもそも、「シンプリズム」という言葉を検索しても出てこないあたり、思考術に関して言えば「ミニマリズム」というのが一般的なのだろう。
 いずれにせよ、私はミニマリストともシンプリストとも名乗るつもりはない。何故なら私は、そのいずれの思想においても一貫していないからである。ずっと申し上げている通り、私はミニマリズムをツールとして使用して暮らしを改善したというだけであって、ミニマリストになろうと思ったことはないし、シンプリストという存在を知ったうえでもなお自分がそうなろうとは思っていない。故に、この頁の最初の問いについては「どちらでもない」が答えなのである。肩書にこだわって自分を中途半端に縛らず、私はあくまで、自分が幸福であるための選択をしていきたいだけなのだ。ミニマリストというテンプレートや、シンプリストというテンプレートを用いて生活を描きたいのではなく、あくまでも良いところを都合よく取り入れて、都合よく自分の幸福を追求していきたい、ただそれだけなのである。

 シンプリストやミニマリストというテンプレートで自分を縛らない。
 外側にこだわるのではなく、本当に目指す形を整えることを目指していく。



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