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□みずち的ミニマリズムの記録
□第1章 思考 1-5、生活の考え方 ![]() ピンポイントでミニマリズムを適用していくとはいえ、生活の基本的なスタイルが適当ではそのピンポイントでのミニマリズムすら実現する事は難しい。手荷物について考えた後は、日常生活全体についても同じように考えていく必要があるだろう。考え方の基礎にミニマリズムをおき、無駄に物を増やすことのない生活を前提としてしていくことで、本当に好きなものを中心とするための余力ができるというものである。 生活においてまず最初に考えるべきことは、徹底的に最小限にするという意識よりも先に、第三者から見ての価値観で何かを考えてはいないかという点である。自分自身がどうかではなく、他人から見たらどうかという点、自分視点で身の回りを見渡してみるということから始めるのが良いだろう。自分軸、という言葉はミニマリストの動画でほとんどの人が言っている言葉であるが、この物に溢れた社会の中で自分らしく生きるために必要な物を選ぶツールとして、何よりも大事で、しかし何よりも忘れられている物であると感じる。故に、そういったミニマリスト本の受け売りであろうとも、この自分軸という言葉をプッシュしていきたい。今、目の前の視界に入る範囲の中にあるもので、「誰かから勧められた」「誰かが使っているのを見た」「誰かにアピールしたい」「誰かに似合っていると言われた」「誰かからこう見られたい」など、自分以外の誰かが大きな基準になっているものはないだろうか。もちろん、その結果として自分が本当に好きになれたのならば一向に構わないと思うが、その物を所有する理由として、自分自身の考えがその先に続かないのであれば、それは他人軸で所有しているものである可能性が高い。自分自身の意見よりも他人の意見が先に出てきて、そのウェイトが大きいものは、手放してみても意外と問題ないことが多いというのは、私自身が色々と断捨離してきた中で思ったことの一つであった。 次に考えるべきことは、管理コストが高いもの、簡単に言えば管理したり継続したりする事が疲れたり、その過程で面倒だと思うことが起きるものがないかという事だ。例えば大量の本が積んであって読むときに探し出せない、コンセントがごちゃごちゃでどれがどれかわからない、棚に物が多くて何かを取り出さないと目的の物にたどり着かないなどの物が多い弊害がないか。あるいは、好きだけれど手入れが面倒くさくて嫌、ないと困るんだけど正直使いづらい、使いはするけど場所を取るなど、余計なタスクを増やす物がないか。そういったところから目を背けて、それが当たり前になってしまって、無意識のうちに毎日にタスクを持ち込んでいないかを考える。私が求めるピンポイントのミニマリズムは、全体をミニマルにすることが主目的ではなく、全体の限られたリソースの割合を好きなことに大きく割り振るためのツールである。つまりは、そういった無意識のタスクというのは、折角のリソースを無駄に消費するものだ。例えば、便利だけど無駄にメモリを食うソフトによってパソコンが重くてストレスを感じた事はないだろうか。例えば、10分の休憩時間にアプリを開いたら30秒の広告でしたいことがしきれなかったことはないだろうか。無駄なタスクというのは、そういったストレスを、自分の気づかない範囲で発生させているものなのである。故に、そういった物は手放したり目的に合うものに更新したりすることで、思っている以上にリソースが広がることもあるのだ。 最後に考えるべきことは、これら2つの考え方を「物」だけではなく「行動」「習慣」「食」「交流」など、物理的な物品以外のあらゆる物事に広げることだ。自分軸でない行動や習慣は明確に時間や体力といったリソースを消費しているものである。管理に疲れる物以外の事というのは、例えばなんとなく毎日行っているけど大して使っていないポイント獲得のためのアプリログインや、特典のために登録したラインの無駄な通知、1文字も読まずに適当に処理するメールマガジンなどがある。獲得できる利益に対し、それらがそれを行う為のリソースとして適切なのかどうか考え、それが利益を下回っているのならば今すぐに辞めればその分のリソースを好きなことに割けるのである。 まとめると、自分軸で身の回りの物を考えること、管理コストがかかる物がないかを考えること、そしてこれらは実体のある物以外だけではなく生活すべてに共通した考えとして持つべき考えであるということの3つが、生活に関する考え方であると思っている。 そして、私が考えるピンポイントのミニマリズムにおいては、これら3つを考えたときに「好き」という感情が出た時点で深堀りをしないという点である。本来のミニマリズムの考え方であれば、好きだと思っているのはそれは本当に自分の考えか、好きだとしてもここまで本当に必要なのかと深堀りしていくのが普通だと思うが、私はあえてそれはしない。自分軸かどうか、疲れるものでないかなどを考える前に「好き」という感情が出たものに対してまでミニマリズムの考え方を広げようとすると、だんだんとその「好き」という感情を自分自身で信頼できなくなってくる。だからこそ、これらの生活の考え方は、好きとまでは言えない生活の要素にのみピンポイントで適用していくべきだと、私は考えている。 自分軸でないものと、管理コストがかかるものは見直すべきだ。 しかしそうだったとしても、好きという感情が正直ならば、そちらを優先しよう。 ![]() 前へ 次へ 目次に戻る その他駄文に戻る その他のコンテンツに戻る ▲ページの上部へ |