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□みずち的ミニマリズムの記録

□第2章 実践
 2ー6、生活を向上させる


 リソースを確保するための減らす作業については、前項までで終わりである。次からは、この趣味のために開けたリソースのうちのほんの少しだけを見直して、生活そのものの質を落とさないための補正である。経験上、ミニマリズムを全力で意識して減らす作業を行うと、自分自身の生活のクオリティが多少下がったとしても気にならなくなってしまうことが多い。そしてそれと同時に、今まで考える余裕すらなかった点において、多少物を増やしてでも時間的・空間的なリソースを確保できる場合がある。減らし後の「好き」に割けるリソースがしっかりとあいた状態で残りをすべてそれに注ぎ込むのも良いが、ここで安易に残りのリソースを消費してしまう前に、もっと別の形でQOLを上げることができないか、少しだけ考えてみることとしよう。
 まず、「時間的リソースを確保するための投資」を考えてみる。例えばお湯を沸かすときにやかんで沸かすのであれば電気ケトルはいらないが、そのために火から離れずにお湯が沸くまでを待ったり、部屋でコーヒーを淹れたいのに台所との往復が無駄に必要になったり、そういった無駄な時間が存在し、それが日に何回もあるような生活をしているならばケトルの投資は有用である。頻繁に何かを行うことがあり、それが生活の負担となっている要素があるのならば、それを減らすための投資は結果的にリソースを確保することにつながる。ポイントとしては、それを持つコストや保管リソースと、それを持つことによって得られる時間的あるいは労力的なメリットを天秤にかけたときに、「明らかに」所有することが得であれば投資のメリットがある。逆に「あったら便利かもしれないがなくても困らない」という程度であれば、導入するためにかけるコストを好きな物に割いた方が良い。ポイントとしては「あったら便利」は別になくても良いが「ないと不便」は導入すべきという点だ。あったら便利だがなくても別に不便さがないものは、余裕がある状態で初めて検討すべきものであって、リソースを確保するためのミニマリズムなどという話をしている時点で余裕があるわけではないので、それは今考えることではないのである。
 続いて、前項までの生活の見直しによって「不便」が生じていないかという点である。基本的には不便がないような選び方を前項までで説明してきたと考えてはいるが、それでも脳が減らすことを前提としたモードに切り替わっていると、本来必要なものを即答で不要であると判断している可能性もある。物を減らした今であれば、今あるものとまっすぐに向き合うことができていることだろう。そのうえで、減らしてしまった物が実は時間的ないしは精神的なリソースの確保に大きく貢献していた、などという失敗が起きていないだろうか。起きていないのならばその断捨離は正解であったと言えるが、もしもそれが起きているのならば、素直に断捨離の失敗を認めるのもまた必要なことである。断捨離してしまったからと自分を言い聞かせて著しい不便を享受する事は、非常にもったいないことだ。
 また、これはあくまで個人的にであるが、必要最低限に減らしたものの、残った最後の一つをより良いものに更新することも生活の向上として大きなポイントになると考えている。「良いものを普段使いする」というのはミニマリスト本の中でもよく書かれているフレーズであるが、せっかく1つだけを選んだのであれば、使うことに喜びを感じるようなものを選んで使うのもまた一興である。もちろん、興味のないものにそれをする必要はないが、一緒に過ごす時間が長いものに関しては、ある程度良いものを使うことで、思わぬ喜びを知ることになるかもしれない。折角リソースを開放して余裕が生まれたのならば、好きとまでは言えないいろいろな時間についても好きになれるような工夫ができれば、毎日がまたもう少し楽しくなるのではないだろうか。
 
 リソースを確保するためのリソースの消費を無理に忌避する必要はない。
 生活を切り詰めて好きに全振りするだけでなく、生活も大切にしよう。



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